南駄老ブログ

えねるぎぃっ亭南駄老でございます

小話をどうぞ

 えねるぎぃっ亭南駄老でございます。えねるぎぃってぃ、なんだろうとお読み頂ければと思っております。どうぞお見知りおきを。
 えぇ、未熟でお見苦しいとは思いますが、お近づきに小話を一つ。
 近年”裏でぃ見る・風沈”なるものが、その名の通り、裏で見てたら良いものを、表に出てしまって、何やら物騒な世の中になって参りました。風沈は自国でとれる天然ガスとやらを人質にして、世界を震えあがらそうとする、そうはさせるものかと、空の色と小麦色した旗を持つ人達とが争っております。天然ガスって大切なエネルギー源なんですってね。でもそんな、世界を相手の人質になるエネルギーって何だろう? だからそこでえねるぎぃっ亭南駄老の出番でございます。
 え、お後がよろしいって? 失礼いたしました。
 当えねるぎぃっ亭に初めての方は、どうかこのまま下までお読み頂ければ幸いに存じます。最初の能書きはもういいよと思われる方は、下のボタンでおすすめ記事または記事一覧のページへお飛び下さい。

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本題へ

 ブログを始めたいと思います。これまで経験してきたこと、今経験していること、色んな事を書き留めてみたいと考えています。またえねるぎぃっ亭南駄老とどうして名乗るようになったのかも、私の経験をお聞き頂いているうちにお分かり下さるかと思っています。

私は今京都に住んでいます。東京での仕事を定年で辞め、その後学生時代を過ごした京都に移り住んでいます。コロナも少し収まって、京都にも観光の方が戻ってこられるようになりました。コロナの前は、外国からも沢山の方が押し寄せ、住民の中には困惑している方も多くおられましたが、今はまだ外国からの方は少なく、それだけ静かな環境が保たれています。日本の方は静かな京都を訪れるチャンスでもありますし、京都住民を含めて、外国の方が戻ってこられたとき、どう観光の方と向き合えば良いのか、どのような京都を見て頂くのか、考える良い機会でもあると思います。そういう意味も含めて、今の京都の姿を発信して行きたいと思っています。

私の住まいは琵琶湖疏水の近くです。琵琶湖疏水は京都の人には水道の水として良く知られていますが、何故琵琶湖疏水が計画されたのか、意外と知られていないかもしれません。まして観光で訪れる人には知られていないでしょう。そして観光で訪れる人は、どこに琵琶湖疏水が流れているのやら、知らない人が圧倒的に多いのではと思います。いや京都にお住まいの人にも、琵琶湖疏水の全貌は良く知られてないでしょうね。しかし琵琶湖疏水は京都のあちこちで、京都の景観をそれとなく支えているのです。琵琶湖疏水を良く知ること、それは京都の旅を一層興味深いものにしてくれるでしょう。

私は若い頃と言っても30代、研究生活で海外に数多く滞在していました。数ヶ月以上滞在したり、何度も同じ町を繰り返し訪れたりすれば、その町の文化・歴史を感じることになります。今はコロナで海外旅行も制限されていますが、もう半年もすれば、状況も大きく変わってくるでしょう。ウクライナの戦争は、異なった国や文化を、歴史的にも深く理解することの重要さを教えてくれます。海外旅行を単なる物見遊山に留まらせず、異文化を深く理解し、そして尊敬に繋げ、ひいては日本文化の良さを改めて認識する、そういったことに繋げていきたいものです。ブログで私の海外経験をお伝えしていきたいと思いますが、私の記事がそのような役に少しでも立ってくれたらと思っています。また私の欧米滞在は、冷戦終焉前が主でした。現代社会との違いを見て下されば、それもご参考になるでしょう。

私の研究は物理学の一分野でした。物理学と言えばどん引きする人が多いのですが、物理学は本質的に「何故だろう、何だろう」という疑問が元にあり、それを知るのが楽しいという、本来楽しめる学なのです。物理学者に「何故貴方は物理学をやっているのですか?」と問えば、「面白いからですよ」あるいはそれに似た答えが、まず間違いなく返ってきます。他の学問なら「金儲けですよ」「人の為ですよ」など様々な答えが返ってくるでしょうが、物理学者からはまずその種の答えはないでしょう。ならば機会があれば物理学の「面白さ」を、伝えていければとも思っています。それが「エネルギーって何だろう」に繋がり、「社会に役立つ」という物理学者があまり考えない目的に繋がればとも思っています。

21世紀初期の今、時代はどのような時代なのでしょうか? 私には大きな時代の変動期と考えられます。難しいが、次の時代を造るという、希望に満ちた時代でもあるのです。ちょうど17世紀初期がそのような時代でした。ガリレオやケプラーの時代は、ヨーロッパが中世から抜け出し、世界に通用するヨーロッパ近代へ移行する時代でした。それを基に現代社会が成り立っています。物理学建設期への興味から、私はガリレオやケプラーの考え方、今に残る文化を調べてきました。それは私にとって現代のヨーロッパに残る文化の深さを理解する鍵となりました。そのような事もお伝えできたらと考えています。

21世紀が近代を創成した時代に比すべき時代と考えるには訳があります。現代が西欧近代を基に成り立っていると書きましたが、西欧で生まれた近代の考え方を何故世界が受け入れるようになったのかを考えないといけません。人は言うでしょう。自由と民主主義だと。しかしそれは欧米主要諸国が主張し、現代日本人が受け入れているとらえ方です。しかしもっと重要な点があります。西欧近代は19世紀に産業革命により、化石燃料を使って強くなったのです。

19世紀日本は鎖国をとき、欧米と対等に付き合う努力を選びました。石炭で動くクロフネには勝てなかったのです。欧米と対等につきあい、肩を並べるためには、欧米並みの近代化を進めなければなりませんでした。そして日本はそれに成功しました。いわば日本の近代化は、欧米からの借り物でした。そして借り物であるからこそ、簡単ではあるが重要な事に思いを到らすことがないように思われます。それは産業革命を牽引した化石燃料は有限であるという簡単なことです。

エネルギーについて、折に触れメディアで話題になります。しかしそこで流される情報は、化石燃料が有限であることをまともに見据えた物はありません。エネルギーについての議論は、基本的な観点が抜け落ちています。これは恐ろしく危険なことです。現在プーチンのウクライナ侵攻でエネルギーが高くなっていますが、この特殊と見える状態は、今後化石燃料の有限性のため、必ず当たり前の常態となります。そのとき対策を講じ始めても遅いのです。江戸時代末期の人々は、手遅れにならぬよう速めに手を打ちました。だから私たちの繁栄があります。東京時代末期の人々はどう対応するのでしょうか? 歴史がそれを見ています。

エネルギーに関して、正しい知識を多くの人に広めること、それが老いた私の最後の活動です。そのためにNPO法人千年文化を考える会を立ち上げました。西欧近代は400年ほどの歴史を持っていますが、近代の限界ー化石燃料の限界ーを乗り越えるためには、もっと古い文化ー例えば伝統的日本文化ーが発想の基になるだろうとの期待を込めています。

このブログは、会の活動を広い観点から応援することも、その目的の一つです。会の活動にも資金が必要です。ただで活動はできません。カスミを食って生きているわけではありませんから。昔の僧侶は今で言う寄付に頼っておりました。寄付という言葉ではなく「浄財」と言っていましたが。
 「浄財」という言葉、現代日本人は知らない人が多いのでは? でも高い拝観料を取っている京都の一部寺院は、それを今でも「浄財」と平気で書いて、多数の善意の観光客を並ばせています。 寄付と浄財の違い、あなたにはわかりますか? 「エコ」と「つもりエコ」の違いですよ。エ、何のこっちゃ?
 現代のエネルギー屋さんは有り余る儲けの中から、エコと称して未来のエネルギーについて幻想を振りまいています。あのTという自動車屋さんも、Tガスと言ったり、T電力と言ったり、K電力と言ったりOガスと言ったりの、電気屋さんもガス屋さんも。皆大量に化石燃料を消費し、それで資金繰りも豊かで、そして余った金で「エコ」の話を只で振りまいています。ただで振りまくのは、もちろん儲けがそれに伴うから。現代資本主義の基本原理ですね。化石燃料屋さんがその空想話を只で提供していますから、エコ(この見方では空想になる)の話は当然只で聞けるものと思っている人が数多く存在します。そして只で聞いた話をばらまくことが、自分に出来る「エコ」話で、身近なところから始めているのだとそれらの人々は信じています。そんな活動屁みたいなもんやで。
 でもこれは私が過去10年以上にわたって、いやというほど経験してきたことです。只より高いものはないと昔の人は言いました。時代が進んで、間違いなく多くの人の判断力が落ちたのでしょう。

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京都疏水端にて
えねるぎぃっ亭南駄老こと
小池康郎