エネルギー消費から見る失われた30年 I

 「失われた20年」という言葉が、10年以上前随分聞かれました。日本経済での話です。その後アベノミクスで経済成長があったという人もいますが、実感としては停滞が続いており、失われた30年のほうが実態を言い当てているように思います。
 エネルギーは社会経済の血液です。経済活動が盛んになるとエネルギー消費が増え、また一方今世紀に入って省エネ、節電が叫ばれ、更に菅前首相の時代に脱炭素が宣言されてからはなおさら、経済を順調に進めながらもエネルギー消費を減少しなければならない局面に入っています。ここではエネルギー消費の変遷を見ながら、失われた20年(30年)の本質に迫ります。
 ここではまず今世紀に入ってからのエネルギー消費の変遷を調べ、その後前世紀の最終四半期からの流れを追っていくことにします。

21世紀に入ってからの日本の最終エネルギー消費

エネルギー種別に見る最終エネルギー消費の推移

日本における21世紀の最終エネルギー消費の推移。単位はMtoe(メガ石油換算トン)

 上のグラフはエネルギー種別で見た、日本における年間の最終エネルギー消費の推移です。横軸は西暦年を示し、縦軸はエネルギー消費量です。単位はメガ石油換算トンで、IEAのHPからデータの数値を読み取ったものです。石油製品が下降線をたどっていますが、これは自動車の走行が減少したのが大きいのでしょう。地方では人口減少とともに、自動車走行も減少しています。京都でもはっきりと減少しているそうです。それにあるいは自動車の燃費が良くなった効果もあるかもしれません。
 しかし日常生活でのエネルギーの代表格である電気は、ほぼ変化がないと言えるでしょう。クールビズの掛け声は21世紀に入って比較的すぐの年代でしたが、グラフによると電気の消費が減少したとは思えません。クールビズは夏のエアコンの設定温度を上げるために涼しい服装で働こうということでした。全くと言っていいほど効果は見えていません。残念ながらクールビズの掛け声でエコを行ったつもりになっていただけでした。官民そろって節電・省エネを叫びながら、実態は全く効果はなかったと言っていいのではないかと思います。さらにはそれに続く2011年の原発事故の影響すら、見えているとは言えない状態です。経済についても歴代総理が様々な掛け声をかけても効果が表れなかったこととよく似ているとも言えます。ただ経済には様々な指標があり、結論は素人には見えにくいですが、エネルギー消費は単純明快な統計ですので、誰にでも解るでしょう。
 さらに詳しく見ていくと、もっと何か見えてくるかも知れません。

分野別最終エネルギー消費の現状

 先へ進む前に、最終エネルギー消費についておさらいをしておきます。最終エネルギー消費とは、エネルギーが実際に必要とされる場所で、消費されるエネルギーのことを言います。エネルギー消費の場所は、分野に分けることが出来ます。まず多くの人に一番身近な家庭があります。家庭で消費されるエネルギー種別は、電気、都市ガス(通常天然ガス)、灯油(石油製品)、プロパンガス(石油製品)です。石炭は現在ほとんど使われていないでしょう。
 上の円グラフに、分野とそこで消費される最終エネルギー消費の割合を2019年の値で載せておきました。出典はIEAです。一番消費が大きい分野は工場(第二次産業)です。29%です。そして多くの人に意外と思われるのは、二番目が運輸部門なのですね。25%です。それも内訳を見ると、90%以上が道路上で、つまり自動車が消費しています。鉄道上はわずかに2%、海路上(3%)、空路上(3%)より少ないのです。多くの人が単純にEVに変えていくべきだと考えますが、これは間違いで、出来る場所では電車に変えましょうというのが正しいのです。
 三番目に多い分野が第三次産業です。17%です。そして四番目に家庭が来ます。第三次産業が家庭より多くなっているのは、現在の日本の特徴であり、異常なことであることはちょっと頭に入れて置いて下さい。
 家庭に次いで非エネルギー利用が来ますが、これはプラスティックなどの素材などで利用される化石燃料で、石油などを燃さずに利用しているものです。
 最後に第一次産業、つまり農林水産業がきますが、全体に占める割合はわずか1%です。農業に使うトラクターや漁船の燃料費は全額国や地方自治体が負担しても大きな負担にはならないでしょう。
 

工場・家庭と第三次産業での消費電力量の推移

家庭と第三次産業での年間消費電力量の推移。単位はMtoe(メガ石油換算トン)

 エネルギー消費は①上記で見たエネルギー種別にわけてみるほかに②分野別でみる③その双方で分けてみる、を適宜行って理解を深めることが出来ます。今度はエネルギーの代表格電気を、更に分野別に分けて見て見ます。最終エネルギー消費分野は、基本的に①家庭②第一次産業③第二次産業④第三次産業⑤交通に分けられます。
 上のグラフは工場(第二次産業)、第三次産業と家庭での年間消費電力量の推移を示します。電気はこの三分野で多く使われ、交通や第一次産業での電気エネルギー消費はごく少ないのです。データはIEAのHPより取りました。工場で少し減少傾向が見えますが、家庭でも第三次産業でもほぼ停滞と言えるでしょう。
 後で見ますが、20世紀終盤に、家庭でも第三次産業でも、電気の消費が拡大しました。特に第三次産業での伸びが大きく、20世紀終わりに第三次産業の電力量消費は家庭のそれを追い抜いて逆転しています。ちなみに第三次産業が家庭よりもエネルギー消費が大きくなっているのは日本だけの珍現象です。いずれにせよ21世紀初めに第三次産業の電気の消費が少し増えているのは、20世紀終わりからの延長にあると言えます。恐らく大都会で高層ビル建築が進んだことなどが大きく影響しているのだと思われます。しかしこの微増は最初の数年間だけ続いただけで、後は停滞に入っています。高層ビルが大量に電力を消費することは、HPに載せて置きました。

20世紀最終四半世紀でのデータと比較する

上記二つのグラフのデータを、20世紀終盤でのデータと比較してみましょう。IEAはオイルショックを契機に作られた組織で、1973年からのデータを提供していますが、ここではとりあえず1975年から五年おきに年間消費量の推移を見ることにします。

最終エネルギー消費の種別消費量推移

 明らかに20世紀にはエネルギー消費に変化が起こっています。石油製品消費が75年からの10年間ほとんど変化がないことは意外な気がしますが、その後の10年間は増加の道をたどり、21世紀に入ってからの減少と大きな違いが見て取れますね。
 石油製品以上に変化が著しいのは、他の三種目です。電気はこの25年間でほぼ倍増、天然ガスは75年にはほとんど使われていなかったが、かなりの伸び率で使われるようになっています。都市ガスが天然ガスになったのが大きいのでしょう。一方で石炭は徐々に減少しています。
 急増した電気は家庭と第三次産業での変化が大きいわけですが、それを同様のグラフで見てみます。

家庭と第三次産業での電力量消費の推移

工場での消費も増加していますが、それを大きく上回る増加率が、第三次産業でも家庭でも見ることができます。どちらも建物の中で消費するわけで、建物の空調の増加が主たる原因でしょう。いずれにせよ社会が大きく変化した時代でした。

停滞は持続可能ではなく、破滅を意味する

 以上見て頂いたように、21世紀に入ってエネルギー消費のデータは、すべて日本のエネルギー消費が停滞していることを示して居ます。問題はこのまま停滞して大丈夫かということです。停滞したままエネルギーが安定して供給されるのかどうかの問題となります。エネルギーがこのまま安定して供給されれば、コロナ禍以前のささやかな幸福が基本的にずっと続くでしょうから。
 しかし残念ながらエネルギーの安定供給は20世紀の幻想でした。現在プーチンの仕業で安定供給が滞っていますが、もともと化石燃料は有限な資源です。永久に安定供給はあり得ないのです。
 自然エネルギーで発電すればいいじゃないかと多くの人が思っていますが、自然エネルギーはもともとほとんどが太陽エネルギーなので、広く降り注ぎ、集中はしていません。東京都がソーラーパネルを新築の家屋に取り付けることを義務付けたそうですがこれは天下の愚策と言うべきで、東京の人口は自然エネルギーで支えられるものではありません。東京都の現在の消費エネルギー総量を単純にソーラーパネルで得ようとすれば、単純計算で東京都のすべての場所に(道路も公園ももちろん貴方の勤務先も家庭もその庭も含めて)ソーラーパネルを敷き詰めなければいけません。単純に東京は集中しすぎたのです。
 総務省の統計によると、日本の人口は現在その80%が都市に集中しているそうです。明治維新のころ、都市に住んでいた人たちの数は、人口の20%でした。これが明治維新後徐々に都市の人口が増え始め、戦後さらに急激に都市に人口が流れました。都市部と農山漁村の人口の逆転が起きたのは、60年代高度成長の時でした。高度成長が終わって速やかに、日本で故郷回帰に舵を切っていれば、話は大きく変わっていたでしょうが。

日本の自殺ー近代の虚妄

 2023年の新年号で、文芸春秋が創刊100年を記念して、100年の知恵に学ぶという特集を組んでいます。その最初の論文が佐伯啓志さんの「日本の自殺を読み直す」と題する文でした。失われた30年を背景に、戦後日本の発展は限界にきたと指摘されています。これは更には西欧近代の考え方も限界にきており、いずれ世界はこの停滞に陥るであろうとも書かれています。だとすれば日本はこの停滞によって、世界の「先進国」ということになります。そして日本の伝統に立って考えれば、世界に近代の限界から来る停滞を乗り越えることが必ずできるはずだと結んでおられます。同じ著者の「近代の虚妄」という書物に書かれておられることを、再度「日本の自殺」と重ね合わせて書いておられるのです。主として東京で発せられる数々の陳腐なアイデアは、まさに日本が自殺しようとしているとしか思えません。
 エネルギーについて考察していけば、佐伯啓志さんの考え方に合わせた結論が見えてきます。
 西欧近代が物理的に強くなったのは、産業革命によってでした。石炭で走るクロフネに、幕末の志士たちは驚き新しい時代を拓くことに奔走し始めます。そして日本の近代化に取り掛かるわけです。その結果村から都市へと人口が流れていったのです。近代化によって化石燃料を使った産業革命が進み、その結果現代の日本があります。化石燃料というエネルギーが、日本を大きく変えました。集中して使える化石燃料は、集中した都市に都合がいいのです。
 化石燃料の役割を自然エネルギーに持たせようという試みは、うまくいかないでしょう。自然エネルギーに合わせた社会を21世紀には作り出さないといけません。それが脱炭素の意味です。
 自然エネルギーで産業を興すという発想は、日本人にとって考えやすいものだった例が、京都にあります。琵琶湖疏水です。琵琶湖疏水は東京奠都によって衰退した京都を復興させようと、北垣国道が立案し、実行したのです。彼は言います。京都は商業の町ではないー工業(伝統工芸)の町だ。質の高い工芸品を、質を保って量を増やすには、機械の力が必要だ。機械には動力(エネルギー)が必要だ。動力には火と水がある(火力と水力)。火(石炭)は高く、環境に悪い。水を使おうと考えて、、最終的に琵琶湖疏水を思い付きます。今の言葉に直せば、地域の自然エネルギーを使って地域起こしをということになります。

エネルギー消費に見られる停滞は、自然エネルギー導入では打開できない

 この文の冒頭で、21世紀に入ってから日本でのエネルギー消費は停滞傾向にあることをお知らせしました。省エネ、節電の掛け声は、21世紀に入れば頻繁に聞かれるようになりましたが、それはかけ声だけでエネルギー消費特に電気エネルギー消費は減少することなく、かといって経済も停滞していますから、増えることもなくただただ停滞しています。逆に見れば現在の日本の社会構造を維持するだけで、これだけのエネルギー消費が要請されるのです。
 これからも経済も振るわないでいる可能性が高く、社会をこのままにした状態では、化石燃料の値上げには対応ができなくなりますが、今回のプーチンによるエネルギー危機が済んでも、化石燃料は供給不安定なエネルギーとして、今世紀末にはエネルギー危機が頻繁に訪れる可能性が高いと思わねばなりません。この社会構造をこのまま放置するのは、日本の自殺を意味します。

1973-2000の消費電力量の年次推移を見る

 最後に1973年から2000年までの消費電力量の推移を、工場・第三次産業それに家庭の分野に分けてきちんと年次で見てみましょう。明白な事実が浮かび上がってくるような気がしますがどうでしょう。
 1970年代の初めには明らかに日本は工業国でした。発電された電気の多くが工場で消費され、まだ家庭・第三次産業での消費は少ないものでした。
 工場では景気の波が次々と押し寄せていました。工場での電気の消費は変動が激しく、一方家庭と第三次産業では、年々確実に消費が増えていきました。そして工業の行き詰まりとバブルの影響が80年代初頭に第二次産業と第三次産業に見られます。そしてバブルの崩壊によって第二次産業は1990年から停滞に入ります。失われた20年あるいは30年の始まりです。
 一方で第三次産業のエネルギー消費増加は90年代にはそれ以前にも増して続き、第三次産業での電気の消費は、家庭でのそれを上回ることになります。バブルが崩壊したのに何故ということになりますが、バブルは不動産バブルだったわけで、古い建築物が壊され大都市に高層ビルが建ち並ぶようになりました。土地売買から高層ビル完成までは時差がありますから、不動産売買が低調になった後も、高層ビル建築は続き、高層ビルの電力爆食いがバブル崩壊後も始まり続けたと考えれば説明がつきます。同時に日本の産業構造が第二次産業主体のものから、第三次産業主体のものに大きく変わっていきました。そして先に見たように21世紀に入れば、現在に到る停滞期に入っていきます。
 こうしてみると、政府と経済界は過去30年にわたって第三次産業に大きく金とエネルギーを注ぎ続けたが、第三次産業は日本の経済の牽引力とはなってこなかったことになるのではないでしょうか。一次産業、二次産業がほとんど見られない東京にこれ以上経済の牽引役を望んでも、東京が依拠する第三次産業は日本経済の牽引力となったためしがないことを、上のグラフは良く説明しています。失われた30年が始まった前世紀90年代には、第三次産業の電力消費が大きく伸びました。しかし同時に経済の停滞が始まったのです。失われた20年の始まりです。失われた20年を取り返すべく都と国が力を入れた「東京にオリンピックを」という発想は、全くの時代錯誤で、日本の自殺を助長するようなものでした。
 第三次産業が家庭よりも電気を沢山消費するのは日本だけだと前に書きました。アメリカでもドイツでもフランスでも家庭のほうが第三次産業より電気を消費しているのです。つまり現在の日本はエネルギーから見ると異常なのです。この日本の逆転は第三次産業の電力消費が急速に伸びた90年代に起こりました。恐らくこの急上昇は、不動産バブルの時代、古い建築物の多い土地が売買され、その地域の再開発として高層ビル群が建ち並び、新しい高層ビル群が電気を貪欲に消費し始めたことにその主因があるのでしょう。しかし同時に今に続く経済の停滞が始まりました。今の日本社会で第三次産業に集中して投資しても、第三次産業は日本経済を牽引できないのです。
 日本の経済を再生させるには、現在の産業構造を変えていかなくてはならないでしょう。どう変えていくかの指針は明らかです。持続社会への成長です。それはエネルギーを大きく無駄遣いする仕組みを改め、再生可能エネルギーによって支えうる社会へ、日本を変えていくとても大きな作業になります。具体的には地方分散型社会推進であり、脱東京一極集中、脱自動車過剰社会、脱高層ビル推進です。
 京都に移って、そしてまた多くの土地に旅をして、地方都市では若いお父さんお母さんが、ベビーカーを押しながら二人兄弟、時には三人兄弟をつれて、近所のショッピングセンターを歩き回るのを頻繁に見ています。少子化対策は、東京で5000円給付でやっても、日本で異次元対策でやっても、クールビズと同じくやってる感だけで、成果が出るとは思えません。それより脱東京給付金でもつけて、都民を地方都市で暮らせるようにする方が、少子化対策にはよほど成果があると思います。これから子育てをする若い人達こそ、地方暮らしを進めたら良いのではないでしょうか。
 戦後始まったのだと思いますが、東京が中心でいつも東京から物事が始まるという幻想が東京の人達にあるようです。持続社会を造るためには全国にLRTを普及させるべきだというのは、もう20年近く私の持論ですが、東京で経営学部の若い同僚にその話をしたとき、それは東京から始めるべきだ、と言ったのを思い出します。東京で成功したら、地方に普及していくのだと。何かトリクルダウンみたいな話ですが、金持ちがもっとリッチになっても庶民が潤うこともなければ、東京から地方へ普及していく発想も最早時代錯誤と言えます。過去30年のエネルギー消費のデータからは、東京主導で日本にものごとが普及するとはとても思えません。むしろ東京は遅れている、地方が頑張らないと日本の停滞は避けられないと考えるべきだと思うのですが、如何でしょうか?そして繰り返しますが、日本のこのままでの停滞は日本の自殺を意味するのです。将来頻発するエネルギー料金高騰に、停滞したままの日本は絶えられないでしょうから。水素をエネルギー源にしたり、アンモニアをエネルギー源にするときは、それらエネルギーは二次エネルギーですから、現在のエネルギー価格より、間違いなく高価になります。なおこれについては別に記事を書きたいと思います。
 そう考えて、私は日本の古都京都からエネルギーについて発信し、また京都からLRTを全国に普及させたいと考えています。年老いて無力な私に皆様のご協力を切にお願いいたします。

参考としてあげた近代の虚妄について

 この記事に参考としてあげた佐伯啓志さんの「近代の虚妄」という本を、オンライン書店で見ると、紙媒体の本についてアマゾンなどは取扱を中止しているようで、在庫が少なくなっているようです。増刷されるかどうかは解りませんが、まだ現在紙媒体の本の在庫があるというオンライン書店を下記に書いておきます。是非紙媒体で欲しい人はどうぞご覧下さい。なお下記二つ共に送料無料、楽天ブックスは1/16までポイント3倍となっているようです。
 このブログで是非ご紹介したいと思っていた、北垣国道日記「塵海」(思文閣出版)は、どうやら絶版になってしまったようです。一年前にはあったのですが。

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