えねるぎぃっ亭再開にあたってご挨拶

コロナで休業状態だったえねるぎぃっ亭を再開いたします。再開にあたってのご挨拶を一言述べさせて頂きたく存じます。

私は21世紀前半を、歴史の変わり目であると主張します

世界はコロナ禍で打撃を受けました。そしてコロナ禍で萎縮していた社会も、経済を廻さなければ持たないと、ウィズコロナと看板を書き換え、経済を廻そうとした矢先、ロシアのウクライナ侵攻で、諸物価は上昇し、特にエネルギー価格の上昇が、今年の冬どれだけの影響を与えるのか、先行きが全く見えない状況です。
 この先が見通せないような時代、それはよく考えれば仕方ないことです。産業革命以来の時代が変わろうとしているのです。

世界史的には、21世紀前半は、化石燃料時代末期であると考えます

 2050年までに脱炭素をという話が、欧米の首脳達から出ております。日本も菅前首相がその考えを受け入れました。当然産業構造が変わりますが、何やら怪しげな話が数多く出ています。
 「2050年までに脱炭素」を素直に解釈すれば、2050年までに化石燃料脱却となるはずです。ところがCO2を排出しない火力とか、前代未聞の怪しげな話が、平気でテレビのCMで流されるありさまです。いつからテレビのCMはおとぎ話メーカーになったのか? そのうち氷点下の温度を持つ火力など出てくるのでは?
 火力と言うからには、何かを燃すのでしょう。炭素以外に地上に大量にある、燃える元素と言えば硫黄など思い浮かびますが、硫黄を燃せば、環境への悪影響はCO2どころではありません。またアンモニアを燃すなんて話がありますが、そもそもアンモニアは一次エネルギーではないし、さらにはアンモニアもうっかり燃すとNOxが出るわけで、NOxが出るから石炭はダメだと、軽油はダメだと、言っていたのじゃないですか? 何で燃したときSOxとかNOxとか出ないの? 人々が科学音痴であることを見越して、ばかばかしい宣伝を行っているとしか考えられません。ところが国民は、馬鹿にするなと怒りで燃え上がるどころか、どこ吹く風と素知らぬ顔。要はNOxとか何も解らぬままに、人の尻馬に乗って気休めを言っていただけでしょ。20世紀はそれで構いませんでした。でもそれは後世から物笑いの種になるだけ。近代の夜明けと考えられる17世紀の、魔女裁判にも似た悲劇的な笑い話です。
 CO2を排出しない火力発電など、魔女さえ笑って見向きもしない馬鹿話は辞めて、誰にでも解る簡単な理屈を使いましょう。CO2が出るのは単純に化石燃料を燃すからです。産業革命以来それが続いています。化石燃料を燃さない社会へ、というのが脱炭素の意味です。2050年までに脱炭素という意味は、21世紀後半には、産業革命以来続いた化石燃料時代を終焉させるという意味です。化石燃料使用終了と素直に言わずにCO2削減など解りにくい理屈を表に出すのは、西欧の人達が自分たちの大事な成果だと思われる産業革命を、否定しかねないから避けているのだと、疑いたくなります。
 もともと化石燃料は有限な資源です。使えばその分無くなりますから、そのうち化石燃料社会は終焉する宿命です。それを欧米諸国は無くなる前に、21世紀前半にやってしまおうというのです。西欧近代の限界を、こっそりと告白しているのですよ。
 繰り返しますが、脱炭素とは、産業革命が切り拓いた、化石燃料時代の終焉を意味するのです。西欧社会は自分たちが切り開いた化石燃料時代を、終焉させようと言っているのです。

日本史的には、21世紀前半は、東京時代の末期となります。

 日本史で考えて見ましょう。19世紀前半は江戸時代末期であることを、日本では皆が知っています。その後時代は幕末から明治時代へと続きました。それから200年経過した今、21世紀前半は東京時代末期です。東京時代終焉を経て、新しい時代へと進むでしょう。
 現代社会では、世界が深く繋がっています。世界史の化石燃料時代末期と、日本史の東京時代末期も、深く繋がっていますし、また互いに影響を与えながら、進んで行くでしょう。その進行に日本は大きな指導力を発揮する文化を潜在的に持っているのです。
 東京時代が何故終焉するのか、不思議に思いますか? でも簡単に解ります。大都会は化石燃料が作り出しました。最初は石炭で動く大工場が人を集め、現在に続く時代では、ガソリンと大量の電気が人を集めています。化石燃料時代の後は、再生可能エネルギー時代になるしかあり得ません。そして再生可能エネルギーは、集中せず地球全体に広がっています。
 東京でも再生可能エネルギー導入が進めばいいのだと思う人がいるでしょう。その人は知るべきです。東京都で現在消費されているエネルギー総量を賄おうと、がむしゃらにソーラーパネルを導入すれば、そのパネルが占める面積は、東京都全域とほぼ等しいことを。東京都をソーラーパネルで覆い尽くす、つまり家も職場も道路も公園もソーラーパネルが占めてしまうのです。え、貴方の住む場所? ありませんよ、そんなもの。ソーラーパネルが何もかも奪っちゃいます。それともソーラーパネルを屋根にして生活しますか?
 これは簡単に計算できます。そしてこれはあくまで総量あるいは平均での計算です。事実東京の活動は太陽の活動と大幅にずれており、昼間電力を蓄え、夜それを使うみたいなことをしなくてはいけません。当然これには更に広い面積が必要となります。
 どう考えたって、東京一極集中は化石燃料時代終焉と共に終焉し、地方分散型社会に持って行くしか、日本の生き残る道はありません。

ポスト化石燃料時代は、再生可能エネルギー時代しかありえない

平凡で当たり前のような事ですが、私たちは化石燃料時代の次に来る時代は再生可能エネルギー時代だけであると、素直に考える必要があります。架空の話が様々流されており、何か別の方法もあるよと期待したくなる話で世の中満たされていますが、それはシャボン玉のようなもの、一時は美しいように錯覚するが、何の役にも立たないバブルに過ぎません。これもエネルギー保存則をしっかりと考えれば、出てくる結論なのです。現実を直視しなければいけません。

原発は世界の最終エネルギー消費の2%ほどに貢献しているに過ぎない

化石燃料が使えなくなったら原発だと思う人もあるでしょう。私も半世紀前、京大で物理学を勉強する学生の頃はそう思っていました。物理学でエネルギーを学んでいる学生には、それしか解は見つかりませんでしたし、今でもそれは変わりないはずです。今はびこっている怪しげなエネルギーの話は、物理学を勉強したことがない人達が、物理学上最も重要な概念であるエネルギーをしっかり理解することなしに、弄びながら作り上げているのです。
 私が学生のころは誰も原発がどの程度役に立つのか、未だ解っていませんでした。半世紀も経てば、過去の実績を見さえすれば、誰にも解るようになります。全世界で人は莫大なエネルギーを消費していますが、原発が作り出す電気エネルギーは、全世界の最終エネルギー消費の2%を占めるだけです。もちろん最終エネルギー消費の大半は、化石燃料由来のものです。原発はわずか2%。その他は再生可能エネルギーということになります。

再生可能エネルギーのほとんどは、太陽由来のエネルギーである

 再生可能エネルギーは、ほとんどが太陽エネルギーが変換されたものです。私たちの廻りのもの、森羅万象にはそれぞれエネルギーが伴います。我々もエネルギーを食料から得ています。すべての動物は、他の生命体を食べて、その生命体が蓄えているエネルギーを、有難く頂いています。植物は光合成で太陽エネルギーをブドウ糖の中に、まず取り込みます。光合成こそ、生命体が太陽エネルギーを取り入れて、貯蓄するプロセスの第一歩であり、そのプロセスの要でもあります。こうして生命体のエネルギーは、元を正せば太陽エネルギーであることが解ります。
 雨や風を含むいわゆる気象も、太陽エネルギーが引き起こす現象です。気象という言葉が、最初に日本の文献に現われたのは、次の文面の中ででした。
   それ混元すでに凝りて 気象未だあらわれず
この文は古事記で最初に出てくる文章です。この古代の言葉である気象の意味を現代人として理解するには、「太陽エネルギーが地上に作り出すすべての現象」というのが、広辞苑の気象の説明を見れば、最も適切だと考えています。明治時代に、当然古事記の記載も考慮したでしょう、今で言う気象という単語が作られたそうです。どこかで「海軍気象部」が造った単語であると読んだ気がします。
 そういう意味で再生可能エネルギーは、自然エネルギーと言った方が、イメージが湧きやすいと思います。再生可能エネルギーは、renewable energyの直訳ですが、自然エネルギーは日本人が造った造語です。英語でnatural energyなどと言っても、欧米人はポカンとして、何言ってんだこの人は、ってなるだけだと言うことは、知っておきましょう。にも関わらず、未来社会をイメージするためには、日本人は自然エネルギーと言った方がイメージが湧くと思います。

地球に届く太陽エネルギーは、消費している化石燃料の一万倍

 一年間に地球に降り注ぐ太陽エネルギーは、一年で消費される化石燃料のエネルギーの、一万倍以上あります。これを少ないと言えば天罰が下されるでしょう。自然エネルギーで全人類が生きて行く社会を創設するには、どうも日本の伝統的思考を取り入れて、社会再構築をするのが良さそうだと考えています。

日本の伝統的思考で、自然エネルギー社会を再構築する

 現代日本の常識は、西欧近代の考えの延長上に成り立っています。特に戦後その傾向は奇怪な怪物にまで成長しています。特に時代の先端を行っていると考えられた東京ではそれは顕著です。東京にいては未来を見通せません。私の経験です。高層ビルに囲まれて、忙しく日々を過ごしている人にとって、そのような考えは入りようがありません。
 一方では上の見解は、物理学者としての私が、一番信用がおける法則ーエネルギーの法則ーから現代社会を考えたとき、全く疑いようがない事実として、ゆっくりながらも見えてきたことです。エネルギー保存則は、例外なく成り立ちます。そしてエネルギー保存則からは、現代のエネルギー消費について、化石燃料の消滅以外、出てこないのです。そして化石燃料に唯一代わりうる可能性がある核エネルギーは、思ったほど役に立っていません。原子炉から得られる電気は、世界の最終エネルギー消費の2%でしかないのです。核が未来を支えるエネルギーであるとは、半世紀前に夢見られてきた幻想にしか過ぎません。また核融合も着想からすでに半世紀以上経っているのに、目に見えた成果は見られません。核はそれだけ我々の世界との整合性が悪いのです。核融合が将来可能になったとしても、特殊なケースにだけ使えるエネルギーで、恐らく限定的なエネルギー供給しか行わないでしょう。

西欧近代思想を明治期には、日本伝統思考を持って戦いながら取り入れた

 日本人は西欧近代思想を無条件に取り入れたわけではないことは、明治に活動した先人達の記録を読めば、すぐ解ることです。それは西欧に留学した人達に顕著でした。当時の西欧の圧倒的な強さに強い感銘を受けながらも、また西欧化を取り入れながらも、日本伝統文化に従って、葛藤を抱えていたのです。例えば夏目漱石がその著書の中で「日本は滅びるね」と登場人物に言わせたりしたことは良く知られています。和魂洋才などという言葉も生まれています。

琵琶湖疏水は、衰退した京都を復興させるため、地域自然エネルギー産業革命を起こす為に計画された

 明治期に日本伝統文化を重視しながら、西欧の技術を取り入れた例が京都にあります。琵琶湖疏水です。
 琵琶湖疏水は今では多くの人が、ああ水道の水ね、と考えるでしょうが、単に京都に水道の水を引くために琵琶湖疏水を発案したのではないことが、琵琶湖疏水の立案者北垣国道の文章を見ればよくわかります。文書の一つは琵琶湖疏水記念館が所蔵する「琵琶湖疏水起工趣意書」であり、今一つは丁寧な研究会を何回でも開きながら、発見された北垣国道の日記を編纂し、思文閣出版から出版された北垣国道日記塵海になります。
 北垣は第三代京都府知事を務めた人ですが、赴任に当たり、伊藤博文と松方正義にくれぐれもよろしくと頼まれたことがあります。それは東京奠都によって、急速に寂れた京都の復興についてでした。千年の古都を寂れるままにしておくに忍びない、是非持続的な京都復興の道筋を考えてくれ、というものでした。
 着任した北垣は思案を巡らせます。とぎれとぎれではありますが、塵海を読めば彼の考え方の推移と、彼が実行に移したありさまが生き生きと伝わってき、壮大な歴史ドラマを見ているようです。京都に残る長い歴史の痕跡と、京都の現状を知るにつれて、彼の考えが固まってきます。京都は商売の町ではない、工業(伝統工芸)の町だ。徳川の政策もそれを推し進めた。京都にすべての藩邸を置かせ、京都の商品を購買させたのは、広く全国に京都の工芸品の品質を知らしめ、京都の商品を全国に通用するようにさせたのだった。もしそうであれば、京都の今後の道を開くには、伝統を生かした品質の高い製品を、機械の力を借りて量産できるようにすることだ。
 そして機械を動かすには動力(エネルギー)が必要だ。動力には火と水がある(火力か水力か)。火は高く(当時石炭は輸入するものであり高価でした)、また環境に悪い。水を使おう。
 どうです。これを現代風に解釈すれば、①まず機械の力で生産を高める②機械にはエネルギーが必要であり、火力と水力があるが、火は高くまた環境に悪い。水を使おう、と考えたわけです。
 水力を探して北垣は京都の河を片端から調べまくります。そしてすべてダメを出します。最後に北垣が考えた事は、琵琶湖の水を高度を下げずに引いてくる、そして加茂川へ落差を利用して落とし、それで水車を廻すというものでした。
 北垣はいろいろと走り回って各方面へ説得にかかります。中央政府のゴーサインを得た北垣は、(北垣は船と列車を使って説得のため、数度にわたって東京に出張します。二度目の時出会ったのが、今の東大工学部を卒業したばかりの田邊朔郎でした。)、京都で勧業諮問会という、京都の主だった人物を集めた会議に諮ります。そのとき提出された文が、塵海に並ぶ重要資料「琵琶湖疏水起工趣意書」です。この文を読めば、彼の意図が明快にわかります。
 趣意書には疏水の効能を七つあげます。第一は機械の動力でした。そして第二は運輸の便、第三は灌漑用水でした。この三つが主だった理由でした。
 その後いくつか続きます。防火用水、衛生用水、上下水道用水、そしてまた規模が小さな水車を沢山つくり、精米用に充てると並べてあります。
 勧業諮問会で、北垣は参加者全員に意見を述べさせます。議論が続きます。会議は丸三日続き結論がでます。全員一致でゴーサインが会議の結論でした。
 北垣国道、すごい人だと思います。

琵琶湖疏水を世界の持続可能社会創成への出発点に

琵琶湖疏水は衰退した京都を、地域自然エネルギー(再生可能エネルギー)産業革命で復興させるという構想で企画されました。現在求められていることは、20世紀に行きすぎた化石燃料社会(火によるエネルギー)を、持続可能社会へと変貌させることです。伊藤、松方が北垣に頼んだことは、「京都将来維持の目的を立て、千年の旧都、云々」という文に表されているように、千年都として持続した京都を、将来も維持していく、つまり持続する町として、どのようにしたら良いかという問題でした。その答えとして、地域のエネルギーを使って、伝統工芸を盛んにしていくことでした。現在の日本で考えても、歴史有る日本の各地に当てはまることでしょう。

琵琶湖疏水のエネルギーは電気に変わり、それで地域の電車が走った

北垣の最初の計画ー水車でエネルギーを得るーは、田邊朔郎達がアメリカで視察した水力発電に変わりました。その電力を使って京都に市電が走りました。琵琶湖疏水の発電所は京都ー蹴上に今でも残っており、電気をつくるための水路は、蹴上にある公園から南禅寺に到る道を通れば見ることが出来ます。今の大型水力発電所とは比べることもできない小さな発電水路ですが、それでも地域の交通の中心として、路面電車が走ったのです。現在は自動車が便利だと、自動車が大量に走り、結果として莫大な石油が消費されています。石油消費の大部分は、自動車で消えているのです。自動車過剰依存からの離脱が、持続社会建設に欠かせませんが、電車を町の交通システムの中心において、町の交通を人に優しいものに変えていくことは、ヨーロッパの多くの国で成功しているのです。琵琶湖疏水の最初の精神に戻って、京都にLRTを、そして全国の町にLRTを、というのが、えねるぎぃっ亭が主張する第一の論点です。

LRTは持続可能都市の柱となる交通機関です

20世紀の行きすぎは是正されなければいけません。石油と大規模電力で、イケイケドンドンとやったからです。行きすぎを是正すべき物、私は三つをあげます。

  • 東京一極集中
  • 自動車過剰社会
  • 高層ビル群

これらはすべて自然エネルギーで支えられません。
従ってえねるぎぃっ亭では、次のようなことを推進することを推奨します。

  • 東京から地方への移住促進
  • 地方都市のLRT導入促進
  • 身近な省エネ法の正しい知識の普及
  • 地方活性化の為、地方への旅促進
  • ふるさと納税促進
  • 地方産業応援

これらのことに関して、これからもサイエンスカフェえねるぎぃっ亭を運営して参ります。
どうかよろしくお願いいたします。

えねるぎぃっ亭の詳しい話はトップページにあります。合せてお読み下さい

6 thoughts on “えねるぎぃっ亭再開にあたってご挨拶

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