名古屋から大阪は近鉄が面白い

東京圏より関西のほうが、電車は楽しめます。そんな情報もこのブログでは書いていこうと思います。その一例として今回は近鉄の特別な急行列車ひのとりをご紹介しましょう。

東京圏にいる人は、日本で二番目の大都会大阪に行くことも多いでしょう。多くの人は新幹線でしょうね。東京ー大阪の新幹線。私も嫌と言うほど乗りました。まあ富士山がすっきり見えたらラッキーという位で、景色を楽しむとか、そんな余裕はないと思います。しばらく乗ってないので、記憶も薄れかけていますが、新幹線の鉄道の両側は、厚い壁に囲まれていて景色を楽しむようには出来ていなかったですね。旅行は無機的にー機械的になっています。

今また鉄道旅行で景色を楽しむという流れが生まれています。特に西のほうで、それが強いようです。今回縁あって名古屋から難波まで近鉄自慢のひのとりに乗りました。そのご報告です。時間があればこれはお勧めです。

近鉄名古屋駅に入るひのとり

名古屋から津へ

名古屋駅は便利に出来ています。JR、近鉄、名鉄の駅が、ほぼ同じ場所にあるのです。名古屋から近鉄線はまず紀伊半島の東側を南下、和歌山県の津へと向かいます。電車の一番前の車両の座席を取りましたが、席自身は一番前ではありません。自席から立ち上がって前方の写真を撮りました。一番前は展望席で、さぞ良い眺めでしょうね。今度乗ることがあれば、是非早くから予約し、一番前に席を取ろうと決めます。

座席から前を望む

低い山が左側の窓が見え、あの山を越えるのかと思いながら、田園風景の中を進みます。東京で生活をしていると、まず見ることにない風景です。

津につくと電車は西へと向きを変えて進みます。家はますますまばらになり、ひたすら田園風景の中を電車は走ります。山に向かっているはずなのに、なかなかトンネルには入りません。しかし徐々に両窓に山が迫ってきます。そして両側に山を見ながらかなり走った後トンネルです。低いけれども山脈を横切るのだから、さぞ長くトンネルが続くのだろうと思っているとあっけないほどすぐトンネルを抜けます。そして両側に迫る山。そしてまた短いトンネルを抜ける。

伊賀の里の民家。ソーラーパネルが見える。これだけあれば自宅の電気を賄いかつ売電できる

これの繰り返しがまた続きます。こういう経験は昔はおなじみだったなァと思いだします。山陽本線がそうだったと。

そうです。新幹線が出来る前、大学がある京都と実家がある博多を行き来する大学生だった私は、まだ新幹線がない山陽本線を往復していました。さらにその前から東京生まれの私は、母に連れられて東京ー博多を往復していました。つまり山陽本線を、私は良く往復したものです。そして少なくともある時までは、SLが車両をひいていました。

SLの思い出

SLで短いトンネルを次々と抜ける経験は、大変なものでした。特に夏には。SLでは蒸気機関の出力が小さいため、エアコンなど望むベクもありません。夏は窓を開けて涼をとる。これしかなかったのです。しかしトンネルで窓を開けていると、SLの煙が車両に侵入し、乗客全員がむせかえってしまいます。そこでトンネルに入る度にアナウンスがあり、窓側に座る乗客は急いで窓を閉める。そしてトンネルを抜け視界が開けたら窓を開ける。そうするとすぐ窓を閉めろとアナウンス。これの繰り返しでした。短いトンネルが次々と続くイメージは、こうして強烈に残っているのです。瀬戸内海を走る山陽本線は、海岸がほとんどリアスなので、短いトンネルを次々と抜けていったのです。

リアス海岸を生む日本の山地は、上から見るとノコギリ状の形をしています。山にも波があるのです。そして平地が深く山に食い込んだ地形では、少し峠を越えると比較的平坦な地形となる。これを繰り返しながら山脈を越えていたのです。明治維新後各地に鉄道が引かれました。そして鉄道会社は、江戸時代からある街道沿いに、鉄道路線を引きました。

近鉄線は伊賀の里から津に出る街道沿いを走っているわけです。

窓からの景色を見ながら色んな思いが沸き返ってくる貴重な二時間半。大阪のど真ん中難波駅に着きました。