哲学の道‐令和5年正月明けの風景

令和5年の正月三が日も明けました。本年もよろしくお願いいたします。
ぶらりと哲学の道に自転車で行ってみました。静かな哲学の道本来の情景が広がっていました。少し写真を交えてご紹介いたします。

西田幾多郎歌碑

混雑した哲学の道では誰も気に留めない西田幾多郎の歌碑です。

人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行なり
西田幾多郎の晩年の歌だと説明があります。今もぴったりの歌ではないでしょうか? コロナ禍、ウクライナ危機。混迷の世紀が始まったようです。西田がこの字を書いたのが昭和十四年とあり、満州事変が始まって太平洋戦争に至る年代です。高まる軍国主義のうねりの中、人は人・吾はわれ也と歌ったのです。明治以来の輸入学問を学び、またそれを乗り越えて、日本文化に立った独自の思考体系を打ち立てた西田は、近代の終焉の中で指針となる先人の一人です。

冬枯れた桜の木の枝の脇に、山茶花が咲いています。疏水端には一年を通して花が絶えることはありません。でも良く桜の枝を見ると・・

この桜の枝のほうがわかりやすいですね。つぼみがしっかりと膨らんでいます。春を待って満開の花を見せてくれるでしょう。桜のつぼみは桜の葉が落ちるときに、すでに顔を出しています。紅葉の後、葉が落ちて、光合成でエネルギーを創り出すことができなくなっても、つぼみがすでにあるから、花を咲かすことができるのです。
 ところで桜の紅葉(こうよう)とてもあでやかで美しいこと知ってました? 京都ではその美しさを折に触れて強く感じます。

 哲学の道の開始点です。南禅寺から急坂でのぼった場所にあります。ここの流れの水面の高さは、琵琶湖の水面とほとんど同じ高さです。琵琶湖疏水の初期の目的は、この高さから鴨川めがけて水を落下させ、その水力で機械を動かすことでした。今の言葉で言うと、地域にある自然エネルギーで産業革命を起こそうとしたのです。
 ここから北に向かって疏水は流れていきます。京都の川はすべて南に流れていますから、何とも不思議な感じを呼び覚ます空間を作っているのです。西田が愛し好んで散歩をした理由も、この閑静さの中では良くわかる気がします。ひょっとして、南に流れる他の川の流れに対して、静かに我が道として北へ流れる疏水の水の流れに、戦争の混乱へと向かう人の流れに従わず、静かに我が道を行く己の姿を見たのかもしれません。
 道の両側に並ぶ木は、紅葉(もみじ)の木です。ひと月前は、盛りを過ぎた紅葉を惜しもうと、かなりの人が訪れていました。季節の移り変わりが、まるで自然の呼吸のように、肌で感じられる京都です。
 四季の移り変わりも東京にいては感じることも少ないでしょう。同様に時代の移り変わりも、東京より京都のほうが、良くわかるのかもしれません。明治維新も江戸ではなく、京都が主たる舞台でした。
 今年も歴史の移り変わりを考え、京都から発信していきます。

$新しき 年は時代を 新らしく 始む年ぞと 京にて思ふ \qquad \qquad 南駄老$

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