中世の常識は現代の非常識ー天球

常識というのがあります。そんなことは常識だろ、と済ませてしまうことが良くあります。しかしその常識は世紀を隔てれば、笑い話になってしまうような、非常識な物である例も、歴史を見ればありえます。現代の常識が世紀を超えた常識でありうるのか? 難しい判断です。

宇宙のイメージ

現代の宇宙観では、宇宙に端っこはありません。但し宇宙には大きさはありますが。ちょっと解りにくいでしょうが。端っこはないという意味で宇宙は無限に広がってます。どこまで行っても限りは無いのです。それに呼応してか、現代の経済では持続的な成長とも言っていますね。成長は無限であると多くの人が信じています。

無限と有限ー簡単であるようで本当は簡単に考えられることではないようです。

宇宙はどこまで行っても果てはありません。ーそういう発想が出てき得る発端を造り出したのはケプラーです。最も彼自身は宇宙がそういう意味で無限であるとは発想していなかったでしょうが。

17世紀の終わりにはニュートン物理学が成立し、無限に広がる宇宙というイメージを取りやすくなりました。「限りなき」あるいは無限という考え方は、現代に到る西洋近代を特徴付ける考えであるようです。

一方で近代的な考えの一歩を踏み出した、あるいはニュートンの先駆けをした、コペルニクス、ガリレオ、ケプラーは、すべて宇宙は有限であると考えていたはずです。何故か? 彼らは天球という概念を捨てなかったからです。

天球という概念

コペルニクスが地動説を唱えたと我々は習います。そこでコペルニクスは我々と同じような宇宙のイメージを持っていたのだと人々は思うかも知れません。しかしそれは全く間違っています。コペルニクスが持っていた宇宙の概念は、中世のものとむしろ似ていたのです。

彼は「天球の回転について」という本を恐る恐る出版しました。教会の強い反対を恐れて。これを「天体の回転について」と訳す本がありますが、全くの謬りであると言わざるを得ません。天球は天体とは全く異なった概念なのです。

天球の概念

地上の物体と異なり、太陽等の「天体」は限りなく運動を続けます。これを地中海近辺の古代人は、天体が球に張り付いているからであると考えました。恒星は星座を組み、永遠に同じ配列で約一日で空を巡ります。これは宇宙の一番外に、恒星が張り付いた天球があり、それが約一日を周期として回転しているからであると考えたのです。球はどこをとっても同じです。頂点などの特別な点はありません。したがって初めも終わりもないのを説明できる形だと考えたのです。これが天球の概念です。明らかに「天球の外」は考えていないでしょう。天球は宇宙が有限であるとのイメージを作り上げます。

プトレマイオスの宇宙模型

ただし天球の内側は考えます。太陽の動き、月の動き、火星の動き・・は恒星とは異なっていますね。これは恒星が張り付いている天球とは別の天球に張り付いているからと考えました。例えば太陽は太陽の天球に張り付いていました。太陽の天球は球であるからこそ、永遠に廻り続けられると考えるわけです。恒星とは違う動きをする天体が七つあることは古代から知られていました。太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星です。これらを惑星と呼んでいたのです。惑星は七つだが、すべてそれぞれの動きをします。それぞれが張り付いた天球があるからです。

惑星の中には複雑な動きをする物もあります。その場合その惑星には、親になる天球に張り付いた子天球があり、問題の惑星は子天球に貼り付けられており、その子天球も廻ることによって、親天球の動きと組み合わせて複雑な動きをすると考えました。天球に張り付いていなければ、安定もしなければ、同じ動きを永遠に繰り返すことを説明することが出来ないと考えていたのです。

このイメージで古代の宇宙モデルを完成させたのが、プトレマイオスです。その著作「アルマゲスト」はヨーロッパ中世で、ローマ教会も認めた宇宙モデルとなっていました。

プトレマイオスの宇宙では、宇宙の中心には地球がありました。すべての天球は、地球を中心として廻っていたのです。

プトレマイオスの模型に、過去の星達の動きのデータを取り入れて予測すれば、将来の星達の位置が解ります。これはコペルニクスが生きた16世紀には、非常に重要になっていました。大航海時代が始まっていたからです。船長は船を長い期間陸を見ないまま航海させなければならなかったのです。

移動するとき、人は周りを見、自分の位置を見極め、方向を判断し、目的地に向かって移動します。大航海時代、陸から遠く離れると、見えるのは海と空だけです。何も情報がない中、夜空の星達は、その位置によって様々な情報を与えてくれる宝物でした。そこで夜空の星の位置、特に惑星達の位置を記した表が、航海士のために貴重な情報を与えてくれるものでした。

しかしプトレマイオスの宇宙モデルから、星々の位置を予言するのは、非常に大変な計算を延々と続ける必要がありました。

コペルニクスは太陽を宇宙の中心に持ってきた

コペルニクスは宇宙の中心に太陽を持ってきたほうが、計算は簡単になることに気が付きました。しかしそのためにはプトレマイオス模型では不動である地球が、太陽の廻りを動く必要があります。長い歴史がある中世の教義では、大地は不動の物として考えられていました。したがって教会の教義に反する恐れがあります。コペルニクスは出版をためらい、慎重になって、彼が「天球の回転について」の最終のゲラ刷りを見た時は、死の床についていたと言われています。

日本では地動説、天動説と呼び習わされていますが、英語の単語を訳すと、太陽中心説、地球中心説と訳すのが、より解りやすいと思います。

コペルニクス説に魅了されたケプラー

グラーツ紹介の記事でも書いたように、ケプラーは大学時代、メストリン教授からコペルニクス説を紹介され、魅了されます。彼が太陽中心説に魅了されたのは、美的、倫理的問題だったようです。貧困や争いに満ちた地球が宇宙の中心であるはずがない。美しく輝く太陽こそが、宇宙の中心にふさわしい。

しかしグラーツの紹介記事でも指摘したように、彼は更なる難問を解決しなければなりませんでした。何故惑星の数は、創世記で示してある週の曜日の数の7ではなく、6であるのか? 太陽中心説で太陽を廻る惑星の数は、水星、金星、地球、火星、木星、土星となり、月は地球に対する天球を親天球とする子天球をまわる、地球の付属物となったのです。ケプラーも天球の考えを当然として引き継ぎました。それを理解しないと次の一節が理解できません。

若い日のケプラーの宇宙模型

若き日のケプラーの宇宙模型ー惑星の数が六個であることを説明するとケプラーは考えた

上の写真を見て下さい。ケプラーが生まれた街ーワイル・デル・シュタットのケプラー・ミュージアムに展示されている若き日のケプラーの宇宙模型です。

ご覧のように球の中に立方体があります。立方体は正六面体とも呼ばれ、正多面体の一つです。そしてその中にまた球があります。そしてその中には正四面体が。正四面体も正多面体の一つです。そしてその中には球があります。その球に抱かれるように正五角形を面に持つ正多面体ー正十二面体です。そしてその中には・・もうあまりはっきりとはしませんが、やはり球があるのです。

この球こそ我々の地球が張り付いている地球の天球です。一番大きな球は土星の天球。そしてその中の正方形に抱かれた二番目に大きな球は木星の天球。そして正四面体と正十二面体に囲まれた球は火星の天球です。

こうやって球ー正多面体ー球ー別の正多面体ー球ー更に別の正多面体・・と並べていきます。上の写真ではっきりと見える正多面体は正六面体、正四面体、正十二面体でした。そのほかには正八面体と正二十面体しか、正多面体はありません。つまり正多面体は五種類。上の写真のように球ー正多面体ー・・と続けて行き、一番外と一番内に球を持ってくると球は何個になるでしょう。そう五個より一個多い六個ですね。え、え、え、天球の数が六個!!!惑星の数が六個であるのと一致しているジャン。これが宇宙の姿だ。そしてコペルニクスの言うとおり、この中心には太陽がある!

そのころ球や正多面体は対称性が高く、神秘な力を持っていると考えられていました。神様は宇宙を神聖で数学的にも美しいやり方で創造されたと信じていたケプラーは、これこそが宇宙の形だと考えました。そして「宇宙の神秘」という本を出版しました。

宇宙の神秘は、当時の人達、特に天体に興味を持つ人達の間で、評判を呼びました。ガリレオも本を贈られてお礼と賛辞を述べ、「自分もコペルニクス説が正しいと思っているが、公表する勇気がない」みたいなことを述べているそうです。

宇宙の神秘がケプラーの出発点となりました。今見るとあまりにもおかしな宇宙模型です。でもどこかに可愛らしさも見えますね。