都(と)を捨てよ、旅に出よう

ーガラパゴス首都としての東京一極集中ー

都を捨てよ、旅に出よう@LRT-rw4jq (youtube.com)

 GDPでドイツに抜かれた日本経済は、この指標によると世界第四位となりました。令和六年の経済ニュースの一つです。歴史的な円安と相まって、日本経済の弱体化は否応なしに人々の生活に突き刺ささって来ます。

 日本とドイツでは何が違うのでしょうか、これを解き明かすことが、この論考の第一の目的です。何故この問いをこれまで誰も取り上げなかったのか、とても不思議と思います。
 この論考で示すことは簡単で分かりやすいと思います。日本は東京という大都市一極集中型の国家であることは、日本人皆が知っています。一方ドイツは典型的な地方分散型国家ですが、これを知る人は少ないでしょう。私もドイツが地方分散型と言うことを認識もしませんでしたが、GDPでドイツから追い抜かれそうだという記事を見て、ひょっとすればということでドイツが分散型国家であると思い至りました。何故なら仕事で行き慣れたドイツのどの都市も、決定的に大都市だったという記憶が無いからです。
 それ以来人口データを調べたりしてこの事実を徐々に確信するに至りました。これを誰も言い出さないことは不思議ですが、データを詳しく調べると明らかなのです。
 それと前後してかなり可能性が高いと思われる仮説として、日本経済が停滞しており、日本に停滞感が漂っているのも、過度の東京一極集中がなせる技ではないかということを考え始めました。この証明はそれほど簡単なことではありません。しかし2024年夏一ヶ月以上をかけて、ドイツを中心にその周辺国、および南欧・北欧の諸国を訪ねてみて、実感として理解し、確信に至りました。人口20万、30万程度の街の中心部を歩く人が、実に生き生きとしているのです。
 なおこの旅で訪れた街は、過去半世紀に私個人が仕事関係で訪れ、滞在をも繰り返した街が多いのです。日本が失われた30年の間に変化したことと、これらの西欧の街が半世紀の間、変化したこと及び変化しなかったことを付き合わせてみれば、日本が失われた30年の間に、如何に間違った方向に変化したかが浮かび上がってきます。日本はその間に皆さんが知っているように変化しました。東京には高層ビルが建ち並ぶようになった反面、地方は激しく停滞の危機に陥いりました。失われた30年は過去30年見られた日本の変化が、残念ながら間違った変化であった可能性を示しています。特筆すべきに、ドイツの都市は中心部に高層ビルを持たないのです。中心部にビルがなく、またその都市圏が狭い以上、周辺部にもし高層ビルがあったら、中心部から少なくとも見え隠れするでしょう。今回の旅では一つ一つの街にゆっくりとは滞在しなかった以上、周辺部を詳しく見ることは出来ませんでしたが、中心部からは高層ビルは原則見えませんでしたというほうが正しく言い伝えることが出来るでしょうか。
そして中心部のビルは半世紀前のままであり、単に塗り替えたり修復したりして、美しい町並みを確保している街が目立ちました。再開発と称して建物を根っこから作り直している街はまず見当たりません。
 もちろん日独の違いについて、都市の集中と分散以外にも様々な違いを見いだすことは出来るでしょう。単純に日本は東洋の中の一国であるが、ドイツは西洋の中の一国であるなど、自明に近いことを含めて、違いを並べたてることは容易だとは思います。

 しかし注目すべきことに、現在40才以上の人なら皆知っているでしょうが、戦後長い間、大まかに言えば20世紀終盤まで、日本とドイツは良く似た国であると言われ続けてきました。この考え方はほぼ常識として日本国民に共有されていました。どちらも第二次世界大戦の敗戦国で、戦争による経済破綻から急速に復興を遂げてきたこと、どちらの国民も勤勉で真面目な性格を持っていること、またどちらの国も成長する先進国のモデルと見なされてきたことなど、数多くの類似点をあげることが出来るのですね。

 もしもそうなら、何故日本の長く続く経済停滞にたいし、ドイツは日本を追い抜くことで示す経済の好調さを続けることが出来たのでしょうか? これを解明しなければ、失われた30年は、40年・50年と続いていく恐れがあるのではないか、そう危惧されます。何が違うのでしょうか? 私の知る限り経済学者はこれまでその違いについて解明をして来ませんでした。むしろ答えを避けてきたように思います。ひょっとして経済学の教科書にも書いていない、単純な理由だから、経済学の専門家達は日独の差を考えなかったかも知れません。一極集中型の経済圏と、分散型の経済圏のどちらが優位なのか? またそれは人々の生活にどのように反映するのか? 経済学の教科書には書いてないかも知れません。私が大学の教養教育で経済学をサボりサボり受講したとき、そのような話題は無かったように思います。

それならば、経済学者でないものが、その答えを考えても良いのではないでしょうか? 経済はマネーの話だけに依存するのではないでしょうから。物事を基本から考える習癖を持った物理学者の私が、あえて考察を試みる理由です。
 その試みのためにこの書物では諸事実を具体的に論述します。人口については統計を丁寧に見れば明らかとなるでしょう。一方人々の様子は実際に見ての感想に頼るしかありません。実際に見ての感想は、旅をして感じたことの感想であり、したがってこの論考の一部は令和六年に実際に行った旅行記でもあります。

そしてその観察を基に私は仮説を改めて公に提案したいと思います。
 ドイツの活動諸資源は一都市圏に集中はしていない。むしろ各地方に公平に分配されているのです。したがって全ドイツ八千万の人々が、ドイツの経済活動に貢献していると考えられます。一方日本の活動諸資源は首都圏3600万人に対して過度に集中しています。首都圏以外の住民およそ八千万人が、十分に活動出来ず、GDPにも十分に貢献できていないのです。日本のこの歪な構造は日本ではよく知られています。地方の首長の多くが人口減に悩み、思うように活力源が出ないことを訴える首長が多いことだけでもそれは明らかです。首都圏以外の日本の人口はドイツの全人口とほぼ同じです。この人々が十分活動できるよう、政策的に環境を整えてやれば、日本経済は失われた時代を脱することが出来るのではないでしょうか?
 中小規模都市の構造は、日独でどのように違うのでしょうか? 何が地方の活躍をドイツで生み出しているのでしょうか?
 それも実際に旅をしてみると明らかに見えて来ます。ドイツの地方都市では、公共交通機関がすばらしく発達しています。便利さにおいて、地方都市は首都ベルリンに負けていないのです。特に日本でも宇都宮で導入されて注目されているLRT(トラムあるいは路面電車)の活躍と重要性はドイツの諸都市でめざましいものがあります。LRTは広くドイツの都市に導入されており、人口20万程度以上の都市でLRTが導入されていない街は存在しないのではないでしょうか? そしてLRTを工夫して、人が中心となる道路空間が幅広く町中心部に展開され、人々はそれを利用してショッピングや食事など生活全般を楽しんでいます。人が中心となる空間とは、自動車が排除された空間で、トランジット・モールとも呼ばれていますが、このような空間が街の中心にないような街は、ドイツ(あるいはヨーロッパ)の諸都市には、一つも無いと言っても過言ではありません。
 また都市間の連携を形作るものとして、長距離鉄道が中小都市間にも、しっかりと確保されています。これは日独の交通政策の違いと言わざるを得ません。その実例を実際に体験した旅行記として紹介したいと思います。事実ドイツ国内では、移動は鉄道に寄るのが一番合理的で、またドイツ近隣国家への旅も、鉄道が一番便利と言えるのです。東海道新幹線みたいに、ひっきりなしに窮屈な列車が発車したりはしませんが、全国主要な路線は毎時同じ時刻に(つまり何分発を含めて)定期的に発車します。これは新幹線に相当するICEも、ローカル線も、ほぼ同じ法則にしたがいます。したがって乗り換えの目安は、基本的には分かりやすいのです。
 大都市一極集中の国は、ヨーロッパにもあるという反論をする人もいるかも知れません。

 そのとき例えばドイツの隣国オーストリアなどが例としてあげられるでしょう。オーストリアの人口は約900万人であるのに対し、ウィーンの人口は今や200万人にも上ります。しかし、昔からオーストリアはドイツと密接な関係があり、文化圏・経済圏として大きな関連があります。むしろ大づかみに捉えると、ドイツ・オーストリアは同じドイツ語を話し国境も隣接する、大きな経済圏・文化圏を共有すると考えた方が良いでしょう。そうするとウィーンは、ドイツ・オーストリア圏ではベルリンに続く都市であり、ハンブルク(約180万)、ミュンヘン(約150万)、そしてケルン(約110万)がそれに続いていると考えた方が、正しいイメージを浮かび上がらせます。そしてドイツを代表する国際空港があるフランクフルト(人口約70万人)がそれに続きます。そしてドイツ・オーストリア圏は、今やEUの一員として、日々の生活が営まれています。そしてEUの一都市としては、ウィーンを特別に集中した大都会と考えることは出来ないことはあきらかです。

失われた30年の間に、ヨーロッパは大変貌を遂げました。失われた30年の始まりはバブルの崩壊と共に始まったとされています。バブルの崩壊と同じ頃、ヨーロッパではベルリンの壁の崩壊と、東欧の旧共産国の民主化が進行しました。すべて前世紀の最後の10年の初期におこりました。
 ヨーロッパはその後着々と政策を打ちました。街ではなく、国レベルの関係で。マースリヒト条約によりEUが正式に誕生し、シェンゲン条約によって原則パスポートチェックなしの国境越えが始まり、また21世紀早々には共通貨幣ユーロが導入されました。
 ユーロが導入される直前の世紀の変わり目に、私はリスボンに居ました。そのころのポルトガルやスペインは経済が停滞し、ヨーロッパの中の「後進国」のような状態でした。例えば物価は日本に比べて安く、すべて日本の半額で同等以上の物が得られるような感じでした。日本で1500円する食事は、日本円で換算して700円程度で食べられ、それもとてもおいしいという状態でした。今日本に観光客の皆さんがたくさんいらしていますが、彼らが感じることは、リスボンで昔私が感じたこととほぼ同じであるでしょう。今リスボンに住む人が日本に来たら、同じように感じるかも知れませんね。今回の旅でもポルトガルには行けませんでしたが、スペインの首都マドリードを訪れた際、マドリードの街が過去と比べて安定し、レストランなどで見る人々に、以前より落ち着きと自信を垣間見ることが出来ました。明らかにユーロは大局的に見て成功したのです。
 グローバルな時代、今やドイツ一国に比べて考えるなど、時代遅れです。ドイツはEUの一員、それもEUの牽引車の役割を持っています。そしてEUは今や巨大な連邦国家の様相を帯び始めていることが実際に旅行してみて解ります。EUという連邦国家は、明らかに中央集権ではなく、ましてや一極集中型でもありません。EUを連邦国家と考えれば、明らかに地方分散型の国家となっていることは想像に難くないでしょう。旅行記としての本書では、EU諸国がまさに実感として連邦国家であること、そして明らかな分散型であることを示そうと思います。強大な分散型国家EUは、スペインなどにある都市も活性化し、人々の生活を豊かにし始めています。分散型の都市圏は、国家の中ですべての地方を公平に活性化し、人々に安定を与えます。そしてこの巨大な分散型連邦国家は、ますます経済的重要性を増していくでしょう。でもそれは人口がせいぜい数十万の街がその周辺を含めてすべてが活躍し、その活動の総計として、連邦国家があるからなのです。

そのことは例えば、オーストリアで二番目に大きい都市グラーツを例として見てみましょう。二番目とはいえグラーツの人口は約30万人であり、ウィーンと比べれば一桁ほども小さな都市ですが、ドイツ・オーストリア圏で見ると通常の大きさの都市であり、また多彩な歴史と文化を持つEUでの、数ある重要な都市でもあるのです。そのことは都市の中心部が、世界遺産に指定されていることにも表れています。そのプライドを持つグラーツの人々は旅人にも優しく、また幸福に生活を営んでいるように見えます。その結果町中に活気が見て取れます。そのようなことも本書で紹介したいと思います。そしてグラーツはウィーンとも他の都市とも十分離れた都市ですが、定期的に発着する鉄道で外部としっかりと結びついており、クロアチアのザグレブなどに行くための交通の要衝です。
 グラーツに限らずドイツを中心とするヨーロッパ諸国の人口30万人規模の街は、活気にあふれています。一方日本では東京圏に属さない人口数十万の都市には、停滞感を訴える都市が多くあります。それ以下の規模の日本の都市は、消滅の危機にさらされているのではないかと人々は思っています。そして心ないマスメディアの影響でしょう、東京でさえも停滞し始めているのに、地方を顧みる余裕はないと思う東京の人は多いかも知れなません。しかし地方があってこその東京です。地方が衰退すれば、その衰退は日本全体の停滞を招くという構図が、失われた30年という経済停滞に表れたのではないでしょうか? そして全体が停滞する中で、地方が激しく衰退し、さらには消滅するならば、日本全体が衰退していく構図ができあがることは、想像に難くないことになります。

東京集中は高度成長を支え、日本経済を推進してきました。ただしそれは戦後わずかの期間でした。東京一極集中が経済の停滞を招くなどと信じられないと思われる人も多いでしょう。しかし失われた30年の初期に何が起こったかを考えてみましょう。ちょうどそのころ東京に高層ビル群が建ち並び始めました。この時代には急激な電力消費の増加を伴ったことがエネルギーデータを見れば解ります。エネルギーデータを丁寧に調べる習慣を持つ人が少ないので知る人はほとんどいないでしょうが、この時期の日本では大量に電力を注ぎ込んだが経済は成長しないという不思議な現象が見られたのです。そしてその大量の電力はその後同じように消費され、その結果残酷なことに、増えた電力消費は経済を豊かにはしませんでした。それもこの論考の後半で論じることにします。そして前述のように今回のヨーロッパ旅で確認したことは、ドイツの諸都市には高層ビル群は全く存在しないことです。ただ唯一の例外がフランクフルトですが。これは70万人の中規模都市なのに、世界的な国際空港を持つ特殊性から来るのでしょう。フランクフルト空港のユニークさも本書で記述します。
 日本は海に囲まれて世界の情勢を一般の人が知るのには困難が伴います。日本はガラパゴスだ。世界に遅れているという論調がもっともらしく受け入れられている理由です。この論調は、比較的低俗な東京論壇達が好む論調になっています。しかし最大のガラパゴスは東京自身と言わざるを得ません。ガラパゴスでなければ、このような肥大した大都会を造ることはなかったでしょう。事実ヨーロッパの街に次々とLRTが導入され、都市の交通改造が行われていた頃、日本にもLRT導入の動きがあちこちで起こっていました。しかしLRTとそれが創り出す都市の豊かさ、快適さを実感する人が当然少なかったので、日本では何かと反対する人たちも多く、実現した街は富山と宇都宮に限られています。それも市民と市の指導部の、計り知れない努力の結果で。またJR地方線などを廃止する動きも日本では当然とされ、ローカル鉄道の有効活用を図る動きは恐ろしく限られた物になりました、日本では地方を衰退させる方策が、次々ととられてきたと言わざるを得ません。地方が衰退したので、日本は停滞したのです。地方衰退がさらに進めば、日本衰退も当然始まるでしょう。
 何故ヨーロッパだけなのですか? アメリカにはニューヨークがあるではないですかと思われる人もいるでしょう。ニューヨークは東京と同じではないのですかと。しかし東京一極集中は東京経済圏のことを言います。東京だけでなく埼玉・千葉・神奈川を含めて一極集中ということは明らかでしょう。この一都三県の人口を足すと3600万人ほどとなり、日本人口の約1/3を占めています。ニューヨーク経済圏はどう見てもこれほど大きくありません。そしてアメリカの経済はニューヨークだけで支えられているわけではありません。合衆国を構成する州(state)全体で支えています。連邦である合衆国は分散型であり、当然アメリカも分散型国家なのです。ただヨーロッパとは異なる形ではあるでしょうが。だとすれば、日本も日本なりの分散型国家を作っていくことになるでしょう。日本各地のそれぞれの歴史を持った地方の特色を生かして。
 本書を日本の経済停滞に悩む八千万人の、日本の地方在住者に捧げます。東京一極集中を打破し、地方を活性化することによって、日本経済が活性化すると考えられるからです。その方向に向けて、地方も頑張らなければいけないのです。
 本書を通じてそのような思いを共有していただける人が増加し、ひいては日本が失われた○○年から脱し、さらには持続社会への道が開けて行けば、筆者の望外の喜びとするところです。何故なら東京一極集中ではCO2削減など論外に実行不可能で、持続社会建設にはそぐわないことを長年の考察の結果思い至ったからこそ、東京一極集中に対する問題意識を持ったのが、筆者の出発点なのですから。

高度経済成長期には、東京には活気がありました。高度経済成長期に全国各地から東京へと、若者が希望を持って集まってきたのが東京集中の始まりでした。そのころ寺山修司のメッセージは東大生などの若き知的エリートを含めての標語となりました。「書を捨てよ、街に出よう」と。街とは東京のことです。東京の街は書物以上に知的刺激を与えるものでした。しかし今は東京が日本の停滞の元となってしまったようです。マンネリ化した東京には、もはや知的刺激はありません。30年ほど東京に勤めていた私の実感です。21世紀になって急速に東京は魅力を失いました。毎日辛い通勤だけで疲れてしまう東京で、革新的な考えが生まれるはずもありません。東京の中心の一つ六本木のスクランブル交差点の青信号で、大量の歩行者が互いにぶつかることなく移動をしたって、それがどうしたと言うのでしょう。ヨーロッパの街の中心部の交差点では、自動車が排除されているので、信号も必要なく、いつでもゆったりと人々は、交差点であろうがなかろうが、道路を横断できるのですよ。六本木に活動する特殊な人々の技術を他国に輸出しようとしたって、そんな技術は世界のどこもほしがりません。失礼ながらまさにガラパゴス技術なのです。ガラケーみたいに。

今の東京の人は次の言葉を標語としてみませんか。「都(と)を捨てよ、旅に出よう。」出来れば世界へ、世界が無理でも日本の地方の良さと苦しみを見直すために日本各地へ。思い立ったが吉日といいます。都を捨てて、旅に出てみませんか。未来が覗き見えるでしょう。それも東京では決して見ることがない未来です。旅先としてヨーロッパを選んだら、この論考で紹介したことが正しいと実感することが出来るでしょう。いやもっともっと新しい考え方を、若い人達なら、見つけることも出来るでしょう。日本の一地方を選んだら、日本の伝統文化の素晴らしさと、それに伴なう地方特有の問題が見えるでしょう。地方特有の問題を解決し、魅力ある地方を創り出す、それが地方分散型国家の基本です。そして先の大戦以前までは日本は長い間地方分散型の国家でした。地方を活性化する下地は、各地方にあるでしょう。種があれば、育てる方法があります。育てる方法は、地域の交通を考えることです。衰退する地方を発展させる道は、交通網の整備にあるのではないでしょうか。それは地域住民にしか考えられません。

参考文献

                                                                   格言と哲学

 今、マスメディアのみならず、ネットでは情報はあふれかえっています。しかし昔の格言や哲学者の言葉は、こうした方法による、伝聞の情報だけに頼る危険性に継承をならします。

百聞は一見にしかず                                                               格言

経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といって居る者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。

                                                                                                     善の研究 第一章 純粋経験より

                                                                                                     西田幾多郎