これまで日本における最終エネルギー消費の推移を、IEAがデータを取り始めた1973年から、IEAがこれまでHPで公開した2020年まで、通して推移を見てきました。そして同じ事をドイツの場合と比較しました。さわりを次の二つのグラフで比較しておきます。まず日本ですが
日本
次にドイツです。
ドイツ
第三次産業での推移に注目します。日本では20世紀最後の四半世紀ではずっと消費の増加が続いています。数値を上げてみると、1973年には20.2Mtoe(メガ石油換算トン)のエネルギー消費だったのが、21世紀に入っても増加を続け、2007年に最高値58.6Mtoeまで上昇します。そしてその後ほぼ停滞あるいは比較的緩やかな減衰にうつり、コロナ禍の前の2019年には50.4Mtoeになっています。オイルショックの年から第三次産業でのエネルギー消費はぐんぐん増え続けます。そしてバブルに入ります。景気が良いのでエネルギー消費はますます増えます。そしてバブルの崩壊。それでも第三次産業のエネルギー消費は増え続けます。バブルの崩壊後の20世紀最後の10年間では、その前の10年間1980~1990までよりも増加の割合が増しているようにさえ見えます。
この理由はバブルで取引された土地に、高層ビル群が建ち並び始めたからだと容易に考えが及びます。というよりそれしか説明がつきません。バブル期にさえ利益をほとんど受けず、崩壊後は地方消滅の危機に怯える日本のかわいそうな地域に、エネルギー消費を増やす力などあるはずもありません。
さてドイツについて同じ統計を見て見ましょう。1990年からは旧共産国崩壊、東西ドイツの合併、EUおよびユーロ圏の形成という大変化を遂げてきたドイツ。もっと大きなエネルギー消費の変化が見られるのでしょうか?
工場、家庭、第三次産業を見て、ドイツの消費量は大きく変動を続けているように見えます。しかし第三次産業は比較的変化は見られず、さらには長期にわたっての変化には、増加も減少もほぼ見られないということが解ります。この違いは何なのでしょうか? 他の国はどういう傾向があるのか。知りたく思い、アメリカ、イギリス、フランスで同じ統計を取ってみました。まずアメリカです。
アメリカ
アメリカは最早工業国とは言えないと言う印象ですね。工場で消費するエネルギーが家庭で消費するエネルギーとほぼ同じになっているのですから。一方第三次産業はどうでしょう。ドイツでもそうでしたが、第三次産業でのエネルギー消費は、家庭での消費より少なく、それでも誰が考えても、アメリカは第三次産業が主たる経済の牽引役を担っています。そして半世紀を通じて、第三次産業のエネルギー消費は、緩やかな上昇基調にあると言えますが、日本のように倍増するようなことはなく、これが健全な経済成長を造りだしているのかなと思います。
イギリスを見て見ましょう。
イギリス
産業革命を蒸気機関で開始し、そして長期にわたって工業も牽引してきたイギリスも、まはや工業国とは全く言えない状況が見えますね。第三次産業と同じ程度のエネルギーしか使ってないのですから。そして明らかに工場では莫大なエネルギーが必要です。
一方第三次産業では、アメリカには少し劣るかも知れないが、緩やかなエネルギー消費の上昇が見られます。日本で見られるような倍増以上になるような増加現象は見られません。
最後にフランスです。
フランス
これは愛嬌でしょうか? フランスでは1984年に家庭と第三次産業に、大きな変化が見られます。家庭部門の消費が大きく増加したのに対し、産業部門の消費が大きく減少したのですね。そしてその増加幅と減少幅がほぼ等しいのです。
これは統計の難しさを反映します。トータルは簡単だが、その分析は難しい。
1984年フランスに見る現象は、次のように考えると説明が出来ます。半世紀前、自分の家庭でお店を開いているのはごく普通に見られた現象でした。お店と家庭の建物が一緒ですから、電線も共通しています。ガソリンスタンドで購入した灯油も共通して使います。そのときこれらのエネルギー源を消費したのは家庭なのか、それとも第三次産業なのか。
そういうわけで、1984年異変は無視してその後のデータで考えましょう。
そうするとフランスは既にオイルショックの時には、工業立国ではなくなっていました。オイルショックの時点で、ここで考えている3分野の内、家庭でのエネルギー消費が一番多かったのです。そして第三次産業での消費は、常に家庭での消費より少なかったし、半世紀の間目立って上昇もしなかったとデータは教えてくれます。
考察
ここでのデータは学生にもとることが出来ます。あいにく私は大学を退職して学生を持ちませんから自分でやっていますが。
IEAのHPは誰にでも公開されていますから、学生でも調べることが出来ます。学生にこのように指導するのです。日独米英仏の最終エネルギー消費をIEAのデータから時系列で調べ、それを第一次産業、第二次産業、第三次産業、運輸、家庭の分野別にプロットしなさい。
さて調べ物をさせたり、実験をさせたりすれば、最後に考察を書きなさいと指導します。それに習って、学生になった気分で考察を書いてみましょう。
日独米英仏に共通して、工場で消費するエネルギーの減少が見られました。第二次産業です。これは産業構造が過去半世紀で大きく変化したことを表し、先進諸国は第二次産業から第三次産業へと、重視する産業構造が変わって行ったことを反映しています。
しかしそのために第三次産業のエネルギー消費は大きく変わったことは、日本以外には見られませんでした。パソコンの常態化はこの半世紀に起こったのですが、パソコンの消費電力は、暖房・空調・照明・エレベータなどの動力に比べて、さほど大きくはないのです。
それでは何故日本では年を追う毎に、特に第三次産業でのエネルギー消費増加が21世紀初頭まで続いたのか?
日本は本来温暖な気候を持ち、欧米の大部分のように冬には零下になるのが当然との状況ではありません。時々零下になれば、大ニュースとなるように暖かい国です。本来はエネルギー消費が少なくて済む国なのです。
戦後日本は大きく社会構造を変えました。何よりも東京集中が進みました。当然東京には流入する人を収納する新しい建造物が必要となります。建造物はしかし長期的視点では造られませんでした。30年持てば良いと多くが劣悪な素材設計で作成されました。それでも快適性を保とうとすれば、ガンガン空調を働かせます。
欧米での家庭・第三次産業で、エネルギー消費がほぼ一定なのに注目する必要がありそうです。73年の頃はまだ石炭も家庭や職場で多用されていました。日本でも高度成長以前はそうでした。それがより利便性が高い石油に変わって、石油が主流になったときに起きたのがオイルショックでした。その後石油の代替物が各国の事情に合わせて模索されます。しかし石炭が石油に変わり、それが天然ガスまたは電気に変わっても、エネルギー消費は変わりません。ストーブで暖を取る限り、同じ熱量を得るのには同じエネルギーが必要です。
つまり欧米諸国では、社会構造も大きくは変わらず、建築物も大きく変わらなかったのです。
今エネルギー消費は安定している、だから欧米のようにこの社会構造を維持していけば良いじゃないかと、特に東京の人は思いたがるだろうと思います。僕の知る限り、東京の人の多くがそう思うのは想像できます。しかし京都や大阪で会った人々でそう思う人は、まずいません。東京の人の危機感のなさと身勝手さに怒っています。アホちゃうかアンタ等はって。
今の日本の社会構造は、化石燃料を多用する社会構造です。化石燃料でしか支えられません。日本は戦後社会構造を積極的に変え、東京中心、大都会中心へと変えていきました。戦後のアメリカに追いつけという目的には適切な選択でした。集中する方が急な変動には都合が良いのです。化石燃料はそれを後押しします。そして高度経済成長が成功します。その後日本たたきなどがあっても、バブルで経済が栄えました。皆東京が舞台でした。しかしバブルがはじけました。東京中心の時代を終了せよとの「神」のメッセージでした。しかし東京は貪欲に高層ビルを建て、それが家庭と特に第三次産業に現われます。この集中した都市のエネルギーを再生可能エネルギーで賄おうとするのは、単に「無理」です。東京集中に固執するのは、日本の自殺に他なりません。
持続可能社会を創成する地域創生
日本は戦後落ち込んだ日本経済を立て直すために東京集中という道を選びました。各地から中学を卒業した若者が金の卵ともてはやされ、東京駅・上野駅に降り立ちました。社会構造が化石燃料社会に変わっていきました。特に乗り物では自動車、建物では電気器具が欠かせない物となりました。この社会構造変化は、世界中であったはずですが、ここで見たように、日本以外の先進国(「日本以外の」はいらないフレーズかも)のデータには、それを見ることが出来ません。
化石燃料の有限性から、化石燃料社会は限界に来ます。失われた30年の背景には、その化石燃料社会の限界が見えています。ここで我々がすべきことは、次世代の成長ー自然エネルギー社会への成長ーです。そしてその方向へ進むのは、日本伝統文化では考えやすく、様々な点で日本に向いているのです。また自然エネルギー社会への成長は、各地で考えられた地域自然エネルギー産業革命が必要です。地域自然エネルギー産業革命のメッセージは、琵琶湖疏水の理念の中に見ることが出来るのです。それらのことをさらにこのブログで発信していきます。