GDPでドイツに抜かれた
二十世紀末に経済大国になったつもりでいた日本が、ドイツにGDPで抜かれ、また日本の経済停滞を思い知らされてしまいました。もう経済なんか良いじゃないか、このまま成長しなくても、後は脱炭素を行って持続社会にするだけで良いじゃないか。そう感じている東京の「進歩的な」人たちもたくさんいるでしょう。30年間東京に住んでいた私の経験からそう思うのです。東京の人、間違ってたらごめんなさい。でも東京から発せられるニュースを見れば、そう思わざるを得ないのです。そら、いけずな東京目線でっせ。おやめなはれ。
「東京を縮小することなく持続社会を」と考えるならば、その人は論理矛盾に落ちているのです。何故ならこのまま東京一極集中を続けていたら、日本では脱炭素は非常に難しく、持続社会にはなりえないのです。それを私は以前から主張してきましたが、日本では聞く力を持たない人が多いようです。聞く力を持つという自慢をして首相になった人が、無残にも聞く力をこれっぽっちも持っていませんでした。あの人はまさに現代日本を「代表している首相」なのです。
さて日本とドイツはよく似た国だと思われてきました。その国民性が「勤勉である」「清潔好きである」など共有点が指摘され、また第二次世界大戦の敗者であり戦争で廃墟となった国を復興させ、経済大国への道を歩んできたと。しかし私はここで日本とドイツの決定的な違いを指摘したいと思います。その違いは一極集中型の国家か、地方分散型の国家かという違いです。
人口と面積を比較する
集中か分散かを良く理解するために、まず国の人口と国土面積を比較しておきましょう。日本では、国土面積37万8千平方キロの上に、1億2千5百万人の人が住んでいます。一方ドイツでは35万7千平方キロの上に、8千4百万人の人が住んでいます。国土面積はほぼ同じですが、人口は日本がドイツの約1.5倍となっています。
GDPは様々な要因で決まりますが、人口にもほぼ比例する性質があり、その意味でもドイツに追い越されるのはGDPを気にかける「経済専門家」にはショックが大きいことになりますね。
日本は皆が知るように東京一極集中の人口形態になっています。私は東京一極集中を、①持続社会創成の観点から②失われた30年の原因を造っているのではないかとの懸念から、止めるべきだと主張してきました。今回の記事は②の観点を補強するものです。ドイツからGDPを追い抜かれたことは、GDPという値を経済の一指標とする限り、直視すべき事実ですが、GDPの複雑さから、通貨の対ドル比較が原因だと逃げる人もおり(要は円安だから、でも今の円安は日本の経済停滞を明らかにしているんじゃないの?)、ここでは別の視点を導入してみましょう。それはドイツが地方分権型国家であるため、国民全体が活躍しやすく、それが経済力を強化しているという視点です。
東京とベルリンを比較するI
日本は首都東京に人口が集中している訳ですから、首都同士を比較してみましょう。言うまでも無く日本の現在の首都は東京で、ドイツの現在の首都はベルリンです。「現在の」と付けるわけは、わずか30年前には、ドイツの首都はベルリン(東ドイツ)、ボン(西ドイツ)と分かれていたからです。
いやいや日本だってわずか150年前には、日本の首都は京都(天皇がお住みになる1000年の都)と、江戸(武家徳川が力に任せて片田舎に開いた幕府所在地)に分かれておりました。江戸の人は、京都ー大阪を上方と呼んで、上に立てていました。150年前に先進諸国に追いつくため、方便で江戸を東京と改め、明治政府が移動したという浅い歴史しかないのです。そして明治維新の頃、都市に住む人口は総務省の統計によるとわずか20%、農林漁村に住む人口は80%と圧倒的に農林漁村が多かったのです。農林漁村は、もちろん日本全国に分散して存在しました。従って江戸っ子が日本の人口の10%を超えるはずもなく。恐らく5%も無かったじゃないでしょうか? また日本は明らかに分散型国家でした。
わずか150年前までの日本の社会と文化は、今年は千年前の紫式部が話題になっていますが、ずっと上方でそして多様な地方で、千年を超える規模で受け継がれてきたのです。これから見ると東京の人には失礼ながら、京都を含む「地方」から見ると、何をこの成り上がりの東京の田舎者めが、なのです。アハハ少し言い過ぎ。
失礼ちょっと脱線しました。東京とベルリンの比較です。東京都の人口は千四百万人。今や日本全体の10%を超えています。これは誰も疑えないきっちりしたデータ。ではベルリンの人口は? ネットでとあるサイトを見れば、620万人とでていました。あ、簡単に解るじゃないの、ネットってすごいわね、そう東京の人口はベルリンの二倍ほどだけど、国全体での人口は1.5倍だから。確かにちょっと東京は多いかな。でもそれがどうかしたの、って思われるかも。
国単位のデータとは違って、単純にベルリンのデータと東京のデータを比較できません。何故なら国の中の地域の分け方は、その国の歴史的制度的背景を無視しては語れないからです。
国の構造を一極集中型か、地方分散型かを見るには、データを多角的に見る必要があります。単純な数値を客観的データと思ってはいけません。これはGDPも同じことなのでしょうね。
この記事をドイツと日本の国土と人口の比較から始めた理由はそこにあります。首都ベルリンの人口620万人って、どのように「首都」を考えた上での面積なの? 東京は首都「東京都」の面積だけど。
日本の首都は東京だし、東京は「都」できっちり決められているから、ベルリン都みたいなものがあるだろうと思う人も多いかも知れませんが、「都道府県」って、明治維新のとき慌てて作った「幕藩」の区別を西欧に追いつくために造った、まるで「鹿鳴館」みたいな幻影的な区別。そういえば現代日本のテレビに出没する紳士淑女たちは、東京という人工的な建物に踊る明治の鹿鳴館の新興貴族みたいに見えませんか。その新興貴族たちは戦勝国アメリカが作り上げたような。ロシアの侵攻に対して反抗するウクライナからみての、生死を賭しても守りたい土地境界線とは、まるで違った「領土」区別です。
東京とベルリンを比較するⅡ
ネットの数値はどうも信用性が薄いことがあります。そこで外務省のドイツ基礎データを見てみましょう。そこにはベルリンの人口は約386万人とあります。そしてベルリンーブランデンブルク統計庁調べとあります。先ほどのネットのデータとは、ずいぶんかけ離れています。
そこで先ほどのデータに戻ります。先ほどのデータは英語版のWikipediaから取ったデータです。それを見るとベルリン/ブランデンブルク・メトロポリタン・リージョンとあって、その人口が620万人とでていました。メトロポリタンリージョンですから、ベルリンの周辺部を含んでいるでしょう。なるほどベルリン圏と思えば良いのだろうか。さらにそのページでこのメトロポリタンリージョンの面積を見ると、何と3万370平方キロとあります。東京都の面積が約2千平方キロですから、東京都の面積の、まさに桁違いの十五倍の広さに、東京都の人口の半分以下の人数しか住んでいないことになります。
東京都の面積の15倍と比較するなら、少なくとも一都三県(東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県)と比較して考えなくては。東京都の面積は2194平方キロ、人口は1410万人、千葉県は5157平方キロ、人口627万人、埼玉県は3798平方キロ、733万人、神奈川県は、2416平方キロ、922万人ですから、合わせて面積1万3千5百平方キロに人口三千六百九十二万人が住んでいるわけです。ベルリン/ブランデンブルク・メトロポリタン・リージョンの約半分の土地に、およそ六倍の人数がひしめき合っているのです。一都三県に人口の約1/3が集中しているのに対して、ベルリンではそれよりもっと広い領域で、ドイツ全体の人口の10%にも満たない620万人が住んでいるわけで、その違いは圧倒的な差になっており、もはや国の構造の根本的な違いと言っても過言ではないでしょう。
このように東京とドイツの首都人口の比較は容易ではないのですが、もう少し比較しやすい形の表にまとめました。東京都の代わりに23区を東京圏の中心部として持ってきました。またベルリン中心部の値もドイツ大使館のHPからベルリン州として取ってきました。表で見るようにベルリン州と23区は、面積から見ても対応していると考えられます。
首都中央部
人口(万人) | 面積(平方キロメートル) | |
東京23区 | 967 | 628 |
ベルリン州 | 361 | 892 |
首都圏
人口(万人) | 面積(平方キロメートル) | |
一都三県 | 3,692 | 13,565 |
Berlin/Brandenburg metropolitan region | 614 | 30,370 |
中央部の人口もさることながら、首都中央部の人口に対する首都圏の人口の割合が、ドイツの約1.7倍に対し、日本では3.8倍に上ることが、東京一極集中の異常さを示しています。ベルリンの周辺には、ベルリンに依存した都会はないに等しいのに対して、23区の周りには、Tokyoに依存しなければ地域経済が成り立たない町が、集積していることが解ります。
3万平方キロがほぼ円形だとすると、半径100キロメートルとなります。google mapでベルリン周辺を見ると、日本でよく知られた地名はポツダム以外見つかりません。ポツダムはベルリン中心部からおよそ20km。恐らくベルリン郊外の保養地なのでしょう。そこでポツダム宣言が発せられた訳です。
日本でもよく知られた都市名をベルリン周辺で探してみると、ライプチッヒ、ドレスデンが見つかりました。二つともベルリンから100kmほど離れています。百キロも離れていれば、ベルリンに依存しないと成り立たない都市とは考えられませんね。
ニューヨークの人口
東京が集中しすぎと言うなら、ニューヨークはどうなんだ。東京は世界の中心ニューヨークと同じような大都会、経済の牽引力にはなっても、経済の足をひっぱるわけはないだろ、と考えるあなた。それじゃあ、ニューヨークの実態を見てみましょう。
英語でNew York populationと検索したら、次のページが最初に出てきました。
New York Population 2024 (Demographics, Maps, Graphs) (worldpopulationreview.com)
かいつまんで和訳すると、次のようです。
ニューヨーク州の人口は1979万人である。ただし、これはニューヨーク州(State of New York)の人口である。ニューヨーク州は合衆国で4番目に広い州である。多くの人がニューヨークと聞いてイメージするのは、アメリカ最大の都市ニューヨーク市のことだろう。州の人口の約43%の人が、ニューヨーク市を含む地域に住んでいる。コレに次いで人口が多い都市はバファロー市で、約25万人住んでいる。
つまりニューヨーク州の人口は約2000万人なのですが、これはメチャ広い土地で、事実ナイアガラの滝のアメリカ滝もニューヨーク州だったと記憶しています。この人口の約43%つまり860万人ほどが都市域に集中しているというわけですが、その周りに東京周辺部のような住宅地が広がっているわけではないのですね。こうして見ると日本の首都圏は異常であると考えるべきでしょう。
ドイツが地方分散型国家である首都圏以外の証拠
日本とドイツの首都圏の違いを見てきました。しかしこれだけではドイツが地方分散型であると簡単には言えないと思う方も多いでしょう。統計を使わず、もっと直感的に多くの人に、なるほど確かにそうだ、と思って頂ける話をしましょう。
日本からドイツに行く場合ベルリンにまず飛ぶだろうか?
20世紀の終盤、東京にあらゆる資源を吸い取られた地方は、様々な試みをしました。しかし東京人は傲慢にもそれらの努力に対して、経済的に無駄だだから止めるようにと言うのが通例でした。あくまで東京が中心でありたいのでしょう。例えば地方に国際空港を導入する試みは、東京人から冷たい目で見られたものです。オオサブ・トーキョー目線。
東京人に聞きましょう。あなたを含めてあなたの周りにドイツに行く人がいた(る)としましょう。その人はベルリンに飛んだ(ぶ)でしょうか? 答えはノーのはずです。日本からベルリンへの直行便はないからです。
日本からドイツに飛ぶ場合、通常フランクフルトに降り立ちます。私は何度もドイツに行きましたが、ドイツに直接行く場合、常にフランクフルトに飛んだと記憶します。
それではフランクフルトが東京の代わりをしているのでしょうか?
ドイツの都市の規模はすべて小さい
日本からドイツに飛ぶ場合に使われるフランクフルトの人口を知れば皆さん驚かれるでしょう。人口約70万人なのです。それでも人口が多い順にドイツの都市を並べれば、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに続く人口第五位の都市だそうです。言い換えればドイツでは人口百万を超える都市は、わずかに四都市を数えるだけであり、人口数十万から十数万程度の都市が、非常に多いのです。あなたが知っているドイツの都市の人口をググってみればすぐ解ります。ちなみにハンブルクの人口は189万、ミュンヘンは151万、ケルンは108万であり、人口が二百万を超える都市はベルリンしかないのですね。
大学がベルリンに集中しているだろうか?
私は高校まで博多で育ちました。高校は進学校でしたから、卒業したらほとんどが大学に進みました。いわゆる団塊の世代で、クラスは急増され11組一学級55人、合わせて同級生は約600人と、今では信じられない数を数えていました。優秀な人材はほとんどが九州大学に進み、浪人を合わせて150人程度、その他の国公立にはせいぜい数人程度に分散し、残りは私大に進んだと思います。私大組の大半は東京の私大に進みました。結果として半数が東京で進学し、残りのほとんどは九州の大学に進みました。私も初めは九大で良いと思っていましたが、やはり外をみたいこと、しかし東京はいやだったので、京都に行くことにしました。
同窓生の多くが東京で進学した結果、高校の同級生の恐らく半分ほどは首都圏の住民となりました。大学で東京に進学して、そのまま東京で職を得た者がほとんどでした。思えば高度成長期、そのころ東京集中が進んだのです。
東京で進学した同級生の子供たち、孫たちは東京で育ち、東京の大学に進み、そして東京で就職するようになりました。個人レベルで見ると、極めて素直な選択でしょう。また東京人は当然の権利と思うでしょう。しかし地方からの目を考えたことありますか?
経済大国第二位を一瞬誇った日本が、そのころ誇りとした大学進学率は、恐らく今も世界一位である日本の大学の大半は私立大学なのです。そして東京に大学が、それも私大が集中しているのです。東京に生まれたら親元を離れる必要が無く、すなわち学費に住居費を上乗せする必要も無く、様々なレベルの、学費も高い私立大学に行けるのですから。東京の住居費は私大の学費より高いでしょう。東京に集中する「有名」私大に進学させる、地方の親たちは限られるようになります。集中した東京に集まる優秀な人材は限られていき、地方は衰退し希望を失っていく。こうして東京一極集中は閉塞していくのです。こう考えていくと、教育無償化という政治スローガンも空虚に聞こえてきませんか。
東京に大学が集中した理由は明治期にあります。近代西欧社会に追いつくために、大隈重信、福沢諭吉を初め、明治時代の有力言論人は私学を創立しましたし、日本に洋式法学を輸入した「専門家」たちも、東京に私学を創立しました。東京の数多くある私大群は、明治以来の百年程度の伝統を持ち、それを誇っていますが、東京一極集中の弊害を考えると、明治の大きな負の遺産でもあったと、後世の歴史では教えているでしょう。
地方にはそれでも国立大学が各県に創立されました。でも残念ながらそして当然ながら、東京の高校生がそこを受験するなどまるで考えないでしょう。江戸時代には各藩に藩校がありました。福岡にも修猷館という藩校がありましたが、それは私の高校のライバル校であり、より多くの東大進学者数を誇った修猷館高校へと引き継がれ、東京の「欧米に追いつけ」の私大より下のランクの教育機関にしかなりませんでした。多くの藩校が高等学校になったのではないでしょうか。
日本の大学はこのように本質的に、近代化日本の産物であり、21世紀になって誰の目にも明らかになりつつある近代の限界には、対応できない厄介者になる可能性を、ほとんど宿命として持っているのです。
私はドイツに何回も行きました。ドイツは私の好きな国です。そしてドイツに行ったのは、ほとんどが大学や研究所に行ったのです。すべてベルリン以外の町でした。ハンブルク、ケルン、ハノーヴァー、カールスルーエ、ボッフム、チュービンゲン、他にドイツ語圏としては、オーストリアのグラーツ、スイスのチューリッヒ。すべて歴史も名前も世界的にも通った大学あるいは研究所です。つまりドイツでは、あるいはドイツ語圏では、大学はある特定の都市には、決して集中していないのです。
世界に共通することですが、有力な大学があるだけでその町が存在している「大学町」も多いのです。人口十数万の町で、住民はほとんどが大学関係者。また同じ言語圏で主要都市とは見なされない都市に重要な大学がある。そういうところでこそ、偉大な仕事が生まれることがよくあります。
上の例であげればチュ-リッヒのETHでアインシュタインが物理学を学びました。ドイツで生まれたアインシュタインは、同じドイツ語圏のチューリッヒの大学に行ったのです。チューリッヒは大学町ではないですが、上の例であげればチュービンゲンは大学町です。そこで学んだ人物は、ケプラー、ヘーゲル、シェリング。ヘルマンヘッセは、ケプラーから続くマウルブロンの修道院ギムナジウムからチュービンゲン大学のコースを進もうとして、そのころのプロイセン流の教育になじまず退学、その経験を生かして車輪の下を書きました。
チュービンゲンの近くのハイデルベルクも大学町として有名です。
イギリスの有名大学ケンブリッジとオックスフォードは、それぞれその名前を持つ町にあり、二つとも大学町です。どちらもロンドンとは離れています。
私はアメリカの首都ワシントンにあるジョージワシントン大学に、研究助教授としてしばらく滞在しました。ワシントンは、州(state)ではありませんから公立大学(state university)は無く、有力な大学としてはジョージワシントン大学とジョージタウン大学の二つの私大があるだけです。後二つほどマイナーな私大はありますが。
欧米では首都に大学が林立する国は皆無なのです。それを考えると日本が失われた30年の停滞のまま衰退してしまったら、日本は首都に大学を集中したのが、国力を弱める結果に繋がったと、世界の人が考えることは、火を見るよりも明らかでしょう。一方首都圏の庶民は、衰退する日本で家計と子供を守るために、首都圏の大学に進学をと、間違いなく考えるでしょう。その考え方にだれも文句は言えません。これは政治の問題です。首都圏の腐りきった政治の責任でしょう。どうする日本。