ちょうど梅雨入り時に台風が接近し、全国に豪雨が襲った。六月最初の金曜日のことである。京都でも真昼前後に集中的な豪雨があった。
東京も豪雨に襲われたことが報道された。新幹線もとまり、スケジュールに多大な影響を受けた知人もいたようだ。テレビの映像ではマンホールの蓋がはずれ、そこから噴水のように水が噴き上げる様子が見られた。さぞ東京では、このような脆弱性を無くす議論が進むのだろう。経済大国であり世界有数の安全な国日本の首都東京で、このようなことが起こるのは許せない。東京人はこう思うのではないか? というより考えることもなく当たり前として感じるのではないか?
しかし真の問題点はそこにあるのではない。むしろ老朽化した諸施設が、脆弱性を表すことは、これから頻繁に起こるだろうから、東京の脆弱性を無くす議論は不毛な議論である。根本にある日本の脆弱性の問題を考えないといけない。
忘れてはいけないのは、ある程度の天災はしかたがないことである。自然は時々荒れる。その中で日本人は長い歴史を刻んできた。その日本人の原点にもどって考えるべきなのだ。
自然に逆らって造られた大都会東京
現在首都圏の人口は、日本全体の三分の一ほどにもなっている。それを支えるのが、林立する高層ビル群と、地下を掘りまくって敷設した地下鉄網である。
私が子供の頃、日本には高層ビルは建てられないと言われていた。何故なら日本は地震大国だからだ。高層ビルは倒れたら大惨事を引き起こす。だから高層ビルは建てられない。
地震に強い構造が研究され、地震にも大丈夫だと、日本でも高層ビルが建てられるようになった。そして高層ビルが林立して建てられたのは、バブルの崩壊後であった。事実私が務めていた法政大学に高層ビルが建てられたのは、20世紀と21世紀の境目である。そのころ再開発という言葉が流行っており、法政大学でも市ヶ谷地区再開発として、東京の中心千代田区最初の高層ビルが建てられた。
何故そのころ再開発が流行ったのか? (東京では今も懲りずに続いているようだが)それは不動産バブルの影響である。不動産バブルは、古い建物を取り壊し、新しく現代風の地区を作り出すことが、その最大の目的だった。多くの人はそれが東京の進歩だと考えていた。現在もこの考え方は続いている。
バブルがはじけ、日本は低迷期に入った。バブルがはじけたのは、1990年前後である。しかしバブルがはじけてからも高層ビル建築は進められ、高層ビル群が形成されたのはバブル崩壊後のことになる。高層ビル群は日本経済を決して牽引できないことを、失われた30年は物語っているのだ。
首都圏の地下鉄の整備も、バブル崩壊後にも進められた。駅の整備も進められ、地下空間が広がった。地下7階の駅空間が当たり前になり、空間全体が空調で快適になった。それ以前は地下鉄駅の空調は貧弱で、電車を待つ間、汗をふきふきというのが、当たり前だったと実感を持って記憶する。
高層ビル群や巨大地下空間は、莫大な電気エネルギーを消費する。事実1990年~2000年の間に、日本の電力消費は後述するように過去最大の伸びを見せている。この間に日本経済の低迷期が始まっているのだから、高層ビル群や巨大駅空間は経済成長も生まず、莫大なエネルギー消費で環境悪化だけ招いている。もっと認識され非難されるべきだ。何故東京に多い環境派の人達はそれをやらないのか? 東京に住むだけで精一杯で、自分で勉強したり考えたりする余裕がないからだろうか?
1973年~2020年までの、日本での年間電力量消費は、別の記事で紹介した。IEAのHPから年間電力量消費が解るが、それから数値を取り出しエクセルでグラフ化しただけの、単純な操作で、誰にでもできる(したがって誰にでも解るはずの)グラフである。
ここではもう少し解りやすいグラフを作成してみよう。覚えているだろうか? コロナ禍のニュースで振り回された間メディアが一時採用した移動平均という考え方を。それを使ってみよう。年間電力量は毎年のばらつきがあるから、五年間の平均を取り、その移動平均をグラフ化したものを次に示す。具体的に説明すれば、1973~1977年の五年間の年間消費を平均し、それを1975年のデータとする。次に1974~1978年までの年間消費の五年平均を197⒍年のデータとする・・・ことを、五年平均が取れる2018年まで続け、グラフ化したものが次の図である。
グラフにみる日本での年間エネルギー消費の推移
図を説明しよう。前述の通り、年間消費量の推移を、年によるばらつきを減じ、長期の傾向を解りやすくするため、その年と前後2年ずつのデータを五カ年平均し、消費電力量の年次推移を表したものである。横軸は年次、縦軸は消費電気エネルギー(単位はIEA標準のMtoe)である。
これを見て驚くと同時に、年配の人には納得してもらえると思うが、70年代中盤から21世紀の初めまで、電気の消費量は家庭でも第三次産業でも右肩上がりに急上昇している。そして2010年頃までに、家庭では3倍、第三次産業では10倍にも上らんとする電気の消費が、70年代半ばに比べて増加してきたことである。今や我々は自然ではなく、電気に囲まれて暮らしている。
失われた時代が始まっても、電力量消費増大の怪
この右肩上がりの図は、多くの人に日本の経済成長の図を思い出させるだろう。戦後経済復興は、世界的なモデルとして捉えられており、最近もゼレンスキー大統領が、ウクライナ戦争後の日本の貢献として期待を表明するほどであることは、日本人の多くが誇りに思っているだろう。有名な高度経済成長は、第一次オイルショック以前と考えられているから、ちょうどこの図が示す時代の直前である。
高度成長期に現在の日本の形ができあがった。人口は明治大正期には、農山漁村のほうが都市部より多かったが、高度成長期に都市部の人口が上回る逆転現象が起きた。特に「金の卵」と呼ばれた少年少女達は、東京へと移動した。東京が経済成長の牽引車となるという形が、高度成長期にできあがったことは、少し考えて見ればわかることである。東京が日本経済を良くも悪くも牽引するという事態は、バブル期まで続いた。
バブルは不動産バブルであり、これも東京を中心として起こった。戦後の脆弱な建物の土地が、超高値で買いあさられたのがバブルである。そして各地区の再開発が進められた。
再開発が進められた時期は、バブルがはじけた以後である。指摘したように、高層ビルが林立し、渋谷などの駅が巨大化したのは、世紀の変わり目前後だった。これは上記の電気エネルギー消費の急増に反映している。高層ビルや巨大地下空間を支えるには、莫大な電気を必要とする。
しかしながら皮肉にも東京の再開発はもはや東京を経済の牽引力と考えてはいけないことを、非情にも証明している。上のグラフに見られるように、バブル以前の倍にものぼる電気を、現代日本は消費している。バブル以降に造られた東京の巨大空間が、バブルまでの日本が消費していた電気エネルギーと、ほぼ同じ量の電気エネルギーを消費していることになる。バブル以降東京一極集中は極度に進んだ。そのために巨大なエネルギーと、巨大な資金が投入された。しかしバブル崩壊に始まる失われた30年は、東京にはもはや経済の牽引力は存在しないと、無情にも証明しているのである。
老朽化する高層ビル群と地下空間
自然の素材とは異なり、コンクリートはかなり短時間で老朽化する。建造物は数十年で建て替えることが戦後の常識となった。今世紀末までには、現在の高層ビル群や巨大地下空間は老朽化するだろう。その時東京は新しく高層ビルや地下空間を「再開発」するのだろうか? それを日本の大半を占める地方人が許すのだろうか? 東京の再開発は日本経済を牽引しないことがすでに証明されているのに。
いや十年先にも東京一極集中は過去の話になっているかも知れない。来る十年間で首都直下型地震が起き、東京離れが起きている可能性はかなりある。首都直下型地震は、巨大都市東京が持続する社会には不適合であることを、多くの日本人に教えるはずだ。その時東京は、老朽化した高層ビル群や、巨大地下空間を再開発する財力を持っているだろうか? すでに日本を牽引する力も無いことが解っているのに。 そこで東京復興という発想を東京人が当たり前のように持ち、それを全日本で応援する方向しか打ち出せなければ、それは日本の自殺である。
この記事を今回の東京での豪雨の話で始めた。マンホールから巨大な噴水がわき出す映像である。
東京にはその人口に見合うだけ、複雑で集中した上水網と下水網がある。それも老朽化する。マンホール噴水は、今後東京の日常茶飯事となるかも知れない。江戸時代、江戸っ子達は頻繁に起きる火事を、火事は江戸の華と言って楽しんだという。そのうちマンホール噴水は東京の華と呼ばれるようになるかも知れない。定期的に咲く華の蕾を切り取るような無粋な主張を、現代東京人は言ってはならない。江戸幕府が崩壊したように、東京も崩壊に向かうのだから。東京の崩壊を見据えて地方創生を。それが現在取れる唯一の日本の未来への進路なのだから。
過去半世紀のエネルギー消費に見る日本の特殊性
ここまで過去半世紀にわたる日本の電力量消費について見てきた。家庭でも第三次産業でも、電気の普及が目覚ましく、1973年にIEAがデータを取り始めて以来21世紀に入るまで、電気の消費は右肩上がりに増加している。さらには20世紀の最後の十年間には、過去を凌ぐ勢いで、電力の消費が増加している。「失われた数十年」の時代に入ったのにである。日本の現在の社会は、エネルギーを更に供給しても経済成長を望めないことを立証している。
日本の電力量消費ーひいては最終エネルギー消費ーには、他の国に見られない異常性がある。それを誰もこれまで指摘してこなかったが、脱炭素を唱えるなら、原発の必要性や危険性を云々するなら、必ず日本人は認識しないといけないことである。次に日本、アメリカ、ドイツにおける、家庭と第三辞意産業での、過去半世紀の最終エネルギー消費を示す。最終エネルギー消費とは、家庭などのエネルギー消費現場で、実際に消費したエネルギーの総和である。家庭でもエネルギー消費は電気だけではなく、都市ガス(通常天然ガス)や灯油(原油を精製して取り出した石油製品)などがあることは解るだろう。日本では電気が最終エネルギー消費の半分を占めるが、これも日本の特殊性でドイツなどでは電気以上に天然ガスが消費されている。電力量消費だけで比較すると、間違った結論に到達しかねないので、すべてのエネルギーの和を、最終エネルギー消費で比較する。
上の図は日本での家庭と第三次産業部門での最終エネルギー消費の推移を、五年移動平均で示す。最終エネルギー消費の内、最初の図で示した電気エネルギーの量も電力として併記してある。電気の消費とエネルギー全体の消費には相関関係があり、20世紀の間は大きな右肩上がりであり、2010年頃わずかな減少に転じる。
これに対して同じ期間での、アメリカとドイツでの最終エネルギー消費について、その推移を見てみよう。
第三次産業のエネルギー消費が、家庭での値を上回るのは珍しい
アメリカ、ドイツを見て解るように、多くの国では家庭でのエネルギー消費は、第三次産業でのエネルギー消費を上回ります。産業が充分発展していない発展途上国ではいうまでもありません。G7各国を見ても、日本を除いて家庭のエネルギー消費は、第三次産業の値を上回ります。それだけ家庭が、産業とGDPの伸びに応じて平均的に裕福になっているのです。
第三次産業のエネルギーが家庭より大幅に上回っている他国が一つあります。シンガポールです。狭い土地に国際関係産業だけを生業として、小さな地域を持った国です。東京も日本から独立して、東京都知事を大統領として、「東京国」を造れば、同じアジアの「先進国」としてシンガポールと肩を並べることができるかも知れません。小池都知事が率いる都民ファーストの怪は、それを狙っているのかも。当然小池百合子氏が初代大統領ですよね。でもその場合天皇陛下を他府県にお移ししなければ。国歌元首がいる東京に、天皇陛下が共存するって、そんな論理を展開しようとするのは、プーチンみたいに「論理」を弄ぶ覚悟が必要でしょう。
東京一極集中を続けるのは、そのような意味を持つのを解って頂きたいのですが。
そうでなければ、東京に人とエネルギーを集中するのはやめませんか? 東京都民および首都圏の皆様のご意見をお待ちします。
東京を縮小させなければならない理由
東京一極集中が問題になっていますが、東京の人は特に大問題とは思っていないようです。誰も自分たちが悪いとは思いたくないでしょうし、戦後日本を牽引してきたと思う年配の人たちは、どこか心の中で地方が遅れてるのだと思っている人も多数(おそらく大半)いるように感じます。
事実は東京が遅れているのです。なぜなら現時点で始めなければならないのは、地域分散型の日本を創成することなのですから。
首都直下型地震が懸念されています。関東地方には100年ほどの周期で過去に巨大地震が襲っています。これは自然現象であり、避けることは出来ません。そのような場所に集中できるという考えは、20世紀が生み出しました。それは間違いなく幻想に過ぎません。
しかしそれ以外にも東京集中が致命的に良くないことを、是非日本の皆さんに、特に首都圏の人々に知って貰いたいと考えています。
東京を再生可能エネルギーで支えることは不可能です
東京を再生可能エネルギーで支えることは不可能です。東京は化石燃料を大量に消費する時代に作られた極度に人工的な町だからです。化石燃料は集中して使うことができます。例えば大規模火力発電所をどこかに置いておき、大量の電気を送電することができます。
ほとんどの再生可能エネルギーは、太陽エネルギーが変化したものです。太陽は莫大なエネルギーを常に送り続けていますが集中はしません。広い範囲で受けなければなりません。単純に東京都で消費する年間エネルギーを、ソーラーパネルで一年間に同じだけ発電しようとすれば、東京都の全面積をソーラーパネルで覆い尽くす必要があります。
それならどこか過疎地に、東京都と同じ面積の広さをとり、そこにソーラーパネルを敷き詰めたらいいじゃないかと思う人もあるでしょう。でもそれは非常に悪質な環境破壊をその地に行なうことになるのはおわかりでしょう。環境のためを真に思う人は、そのような発想をしないでしょう。もしあなたが環境活動家とご自分で思われていて、そのような発想をしたら、それは恥ずべきことです。
再生可能エネルギーは、土地の人が土地の環境や美観を考えて、土地の人が皆で使うべきです。再生可能エネルギーの考察は、必然的に地方分散型社会を日本の未来に求めるのです。
失われた30年は、東京一極集中が生み出した日本経済の停滞です
第二次世界大戦で荒廃した日本は、20世紀後半、世界も驚く大復興を遂げました。しかし1990年、バブルが崩壊し、それ以来日本経済は停滞、今では「失われた30年」と言われています。
失われた30年について、経済学者や政治家が、様々な論を展開してきました。しかしどれも問題を解決していないようです。
日本のエネルギー消費をIEAが公表しているデータを使って調べて見ると面白いことが解ります。IEAが設立された1973年以来、日本では建物の中でのエネルギー消費(家庭と第三次産業でのエネルギー消費)は、大幅に増加してきました。IEAのデータから家庭と第三次産業での電気の年間消費をグラフにプロットしたものは、下記にあります。
またこの問題をトータルに考察した結果を、千年文化を考える会のホームページに掲載しています。そのホームページの一つの柱は、主たるエネルギーは社会をそれを使いやすいように変えていくこという観点にあります。