プーチンの罠

プーチンの論理は、どんどんあきれかえる論理になっていきますね。その背景を考えれば、私には20世紀のソ連の栄光が、彼を捉えて放さないからに見えます。そしてその気持ちを共有する国民もある程度いるのではないでしょうか? 迷惑な話ですが栄光に固執する国民を罠にかけてプーチンの侵攻が続いているのかも。
 私が始めて海外へ仕事で出始めた頃、ドイツをしばしば訪れました。1970年代の終わりの頃です。長距離列車で移動していたのですが、今の新幹線のイメージではなく、ゆったりした三人掛けのソファーが一つの車室に向かい合って、六人が相席になって旅行する、コンパートメントと呼ばれる、古いスタイルの車両がほとんどでした。一グループで六人の席を占有することはほとんどなく、見知らぬ人と一緒の旅で、色んな人と対話をしながら、旅をするという、大変貴重な経験を得ることが出来ました。
 その中で様々な経験をしましたが、忘れられない記憶がいくつもあります。
 あるときドイツの田舎を旅しておりました、東側に鉄条網が延々と見えました。同席した見知らぬドイツ人が寂しそうに言いました。「ごらん。あの向こうは東ドイツさ。越えてはいけないのだよ。」鉄条網は機敏な子供でさえ容易に越えることが可能だと思いましたが、それは国境を守る兵士達の餌食なることを意味しかねなかったわけです。
 そのときだったか、別の機会に別のドイツ人からの発言だったか、思い出せませんが、tたぶん別の機会だったと思います。列車の長旅は、その地域のまた遠くからの旅人の、本音を見いだすことが多かったというのが、今思い出す私の印象ですから。多くの見知らぬドイツ人との会話の中での思い出なのです。
 その彼は私が日本から来たことを聞くとこう言いました。「昔はドイツと日本は世界の偉大な国だった。また偉大な国になろう。そして今度はイタリア抜きで戦争をやろうぜ。」冗談とも本気とも見える、複雑な表情をしていました。まだ30台前半だった私に比べて(見かけはもっと若く見えたはずです)、明らかに中年あるいは壮年のドイツ人でした。もちろんこの意見が当時のドイツ人の本音でないことは充分に解っています。何故ならドイツを旅したのは、ドイツ人の同僚達とコラボするためだったのですし、同僚達には公私ともに大変お世話になり、政治的な意見も日本で行う以上に多く交わしてきましたから。でも多くの国民にそのような感情が一部にはあることも充分解りました。何故なら日本でも過去の日本の栄光を引きずる庶民の大人達を多く見て育ったのですから。
 20世紀のソ連の栄光は、多くの年配のロシア人には、同じように残っているのでしょう。それをうまくプーチンは利用しているのでしょう。栄光を忘れたくない気持ち、それを人ごとと笑ってすませるととんでもないことになります。

プーチンの罠ー捨て去るべき20世紀の三栄光 

20世紀は産業革命以来続いた、化石燃料消費を最大限進めて社会を改造して来た世紀です。人はそれを進歩と呼びます。しかしその進歩は終焉が約束された進歩でした。何故なら化石燃料は有限であり、使い続けると燃料自身が高騰、庶民には簡単に手が出せない事態に陥るからです。現在プーチンの侵攻の余波で、燃料代が高騰していますが、これは侵攻がなくても、そのうち常態化する宿命を持っているのです。
 この社会は産業革命以来、化石燃料を用いて造られた社会であることを、しっかりと認識することが必要です。化石燃料と関係なく科学技術で造り出されたと考えると、とんでもない間違いを犯すことになります。正しくは化石燃料を使って、科学技術が造りだしたものなのです。
 私も自分で研究を推進してきた科学者ですから、科学者・技術者がどう考えるのか、よくわかります。研究するとき、彼らは「使える物は何か」を必ず考えます。20世紀には使える物として化石燃料があったのです。
 多くの人は化石燃料が使えなくなれば、別のエネルギーを使えば良いと考えているようです。あるいは別のエネルギーを造り出せば良いのだとも。しかしあえて言います。馬鹿げた発想だと。
 エネルギーを造り出すことは出来ません。それは信頼できる科学法則に反します。したがって別のエネルギーを使うことが唯一の方法ですが、別のエネルギーとは再生可能エネルギーしかありません。
 つまりこれからの社会を考える科学者・技術者は、使えるものとして、化石燃料を考えるのは止め、再生可能エネルギーを使える物として、発明・発見を考えて行かなくてはなりません。逆にそうすることによって未来が見えてきます。そして20世紀の栄光として消え去るべき物が、少なくとも三つ見えてきます。これらは過去の栄光であり、しがみつけば、「プーチンの罠」にはまってしまいます。

第一の罠ー自動車

自動車は20世紀の産物です。20世紀は石油を使えるものとして技術者が認識を始めた世紀です。それ以前の石油は単に燃えるけったいな水でした。しかしその燃える水は、水であるが故にタンクに入れて機械に格納できるという、便利な燃料であることを技術者達が気が付いたのが20世紀です。自動車にタンクを取付け水を入れたら自動車が動く、飛行機にタンクを取付け水を入れたら飛行機が飛ぶ。石(石炭)や空気(ガス)ではこうはいきません。
 自動車を石油以外のエネルギーで走らせる可能性を考えて見ましょう。実は電気で走らせることは初期から始まっていました。エジソンが電気自動車を試作したのです。
 すぐに解るように送電線を使うわけには生きません。滑稽でしょうね。後ろに送電線を引きずって走る自動車。別の自動車がそれを踏んでどちらもひっくり返る。事故が絶えないでしょう。
 やはり電池が必要でしょう。エジソンも電池を使いました。そして今に続く電気自動車の困難さをすぐさま発見したのです。
 そのころの電池は重かったのです。例えば鉛電池を考えて下さい。鉛というのはべらぼうに重いのです。でも電池には金属が必要です。そして近年になってやっと一番軽い金属を使った電池が実用化されました。リチウムイオン電池です。金属は軽くなるほど、化学反応を起こしやすくなります。言い換えればひどく危ない。原子炉文殊は金属ナトリウムを使うことを試みて失敗を繰り返しました。理論では解っていても、実践では苦労をする役割が技術です。そして技術の限界があります。電池は金属を使う。そうすると一番軽い金属はリチウムである。リチウムイオン電池は、極限まで進歩しており、更に画期的な技術進展は起こりそうにありません。そのうちに自動車ももっと進歩すると思っている現代人が大半ですが、発展には様々な限界がありうると言うことを、頭に入れておく必要が、これからの社会発展のために必要です。
 水素自動車があります。水素は新しいエネルギーと考える人も、あるいはさらにそう信じ込ませようとする一派もいます。とんでもないことです。水素はリチウムイオンと同じように電池です。何か他のエネルギーを使って充電すべき電池です。そして水素は周期律表から見ると、一番軽い金属という位置づけができます。
 自動車のエネルギーは、結局石油が一番適しています。石油の有限性は、他ならぬ自動車業界のトップ達が一番憂慮しているでしょう。豊田章雄さんなど、それを一番心配しているでしょうね。そこで水素に移りたいが、水素を進めるには自動車だけでは心許ないから、逆に様々な形で水素を後押しするポーズを取らざるを得ない。私にはそう見えます。
 自動車が消費するエネルギーは莫大なものです。2020年の統計によると、日本で自動車が消費するエネルギーは、最終エネルギー消費の21%にのぼり、家庭でのエネルギー消費の17%を上回ります。家庭で一生懸命省エネをしても、もともと自動車での消費のほうが大きいのです。自動車を出来るだけ使わない社会を考えるべきです。豊田章雄さんは怒るでしょうが。でも怒っても間違いなく自動車過剰社会は終焉します。プーチンの罠に気をつけなければならないものの筆頭は自動車社会です。

第二の罠ー東京

東京一極集中は良く知られているように20世紀の産物です。これも化石燃料無しには考えられません。化石燃料は集中したエネルギーです。中東やロシアで集中して大量に採れ、集中してタンカーなどで運び、集中したところから分散して運んでいく。この採取・運搬過程を見ても、集中した都会を造りやすいことが解ります。ガソリン価格は、日本では東京が一番安い。大消費地東京に集中して運ぶのが、石油屋さんにとって一番の金づるになります。また化石燃料は大規模火力発電所を造るのが、一番安上がりに済みます。大規模火力から東京へ送電、これも電気屋さんにはとてもおいしい商売でしょう。え、ガス屋さん? これはもっとぼろ儲け。電気などつくる必要すらない。天然ガスを運んで来て、自分の縄張りに高く売りつけるだけの大もうけ。このような大都会の石油屋さん、電気屋さん、ガス屋さんが、町でエコを説く場面をよく見かけますが、眉にしっかりとつばをつけておくのがよろしいかと思います。これは原理上言えることであり、そのような眉唾を信じず自分で正しい判断を人々が身につけるのが、人類の未来を確保する唯一の道であること解りますよね。
 一方再生可能エネルギーは、集中を嫌います。もともとが太陽エネルギー^ですから、地球全体に分布して、むしろ分散しているというほうが適切でしょう。東京もプーチンの罠に気をつけなければなりません。新しいエネルギー産業が地域に興り、地域の中心として活躍する、そのような未来を期待したいものです。

第三の罠ー高層ビル

高層ビルは東京では常態化している。オリンピックをチャンスとばかりに、更に多くの高層ビルが建っているそうです。何か戦艦大和を思い出します。
 日本はクロフネに脅迫され、西欧諸国を教師として、急速に進めていきました。その結果明治維新から40年も経過していない20世紀初め、ロシアのバルティック艦隊を、トウゴウターンで完膚なきまで打ち破りました。アメリカで発行されたBattles that changed history-Key battles that decided the fate of nations-にもTsushimaの戦いとしてトーゴーターンの見開き図解とともに掲載されています。ロンドンのamber booksが2010年に発行した物ですが、ここに掲載されている45の戦いの内、日本が関与した戦いはNagasjinoとPearl harborのほかこのtsushima(日本海海戦)の三つのみです。それほど外国からも高く評価された戦いに勝つのは、石炭船を恐れて近代化を進めた日本が、大国ロシアに石炭船で勝ったという風に考えれば、明治は凄い時代だったとつくづく感じます。
 ところが時代は20世紀に入って石油の時代に入ります。石炭と石油では造る社会が違うことを思い知らされたのが、太平洋戦争でした。石炭の延長で巨大戦艦大和と武蔵を建造したが、どちらもほぼ成果を上げることなく大量の航空機に撃沈されてしまったのです。石炭が石油の時代に変わったことを読み取れなかった戦艦大和の建造車達、集中した電気が集中しない再生可能エネルギーの時代に変わったことを読み取れない、東京の時代錯誤車達。後世どちらが日本の恥と考えられるか、現在では予測の方法すら有りませんが、大和と同じように高層ビルは厄介者として存在するようになり、大した役にも立たないまま、多くは打ち壊されていくでしょう。何故なら高層ビルは莫大な電気をガンガンくらい、その費用は化石燃料費高騰と共にうなぎ登りに上昇していくでしょうから。